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​お知らせ

Eins der schonsen Gleichnisse

Pauk.Klee

1933.61(N1) 48.5×62.2

紙に水彩 厚紙に貼付

個人蔵(スイス)       

5月12日(日)@300年古民家小俣邸ハウスコンサート​報告♪

★演目

最も美しい喩えのひとつ ~思い出の中から“引用”された迷路~

 

・ジョン・ケージ:18回目の春を迎えた素晴らしい未亡人(vo.& per.)

・J.S.バッハ:「平均律クラヴィーア曲集第2巻」からプレリュードとフーガ Es Dur  BWV876

・D.ショスタコーヴィチ:「24のプレリュード op.34」から

 第1番(Cdur)、第2番(a moll)、第3番(G dur)

・J.S.バッハ:「平均律クラヴィーア曲集第2巻」からプレリュードとフーガ h moll  BWV893

・L.ベリオ:空気のピアノ

           :火のピアノ

・福士則夫:とぎれた記憶 

・D.ショスタコーヴィチ:「24のプレリュードとフーガ op.87」から第5番(D dur)

   ***

・J.S.バッハ:「フランス組曲」から第4番 Es dur  BWV815

  アルマンド

  クーラント

  サラバンド

  ガヴォット

  メヌエット

  エール

  ジーグ

・・Pブーレーズ:「12のノタシオン」から

  第8番、9番、10番、11番、7番、2番

・L.ベリオ:水のピアノ

        :地のピアノ

・S.シャリーノ:プレリュード

・八村義夫:ピアノのための即興曲

・F.プーランク:この優しい顏(vo.& pf.)

・F.プーランク:ナゼルの夜会(短縮版)

前奏曲、

変奏Ⅰ やんごとなさの極み

変奏Ⅱ つつみかくさぬ心

変奏Ⅲ 無遠慮と遠慮深さ

変奏Ⅶ 不幸せの風味

変奏Ⅷ 年をとっても明るく元気

カデンツァ

終曲

★プログラムノート

最も美しい喩えのひとつ  ~思い出の中から“引用”された迷路~                本日の私的で美しい古民家でのコンサートのために、 画家パウル・クレーの『最も美しい喩えのひとつ』という晩年の作品を題名に選びました。この演奏会のプログラムのコンセプトもこの絵画から着想を得ています。   さてこの絵の中には「引用」を表す “ ” の記号だったり、矢印や線に絡められて動けなくなってしまった何やら人?のようなものが見えます。クレーは1928年に息子とアルティエスニッツ(ドイツ)の迷路を訪れ、そこから脱することの難しかったこと、そして「この施設全体がひとつの美しい喩えである」と、妻リリーへの手紙の中で語っていることから、画家自身の体験に基づいた多くの暗示を含む作品と言われています。この、思い出の中から「引用」された迷路に自ら彷徨わせるクレーの筆に、身を委ねてみようという好奇心から生まれたのが本企画です。 ── ほんの小さな部分を通じてでも見えるようになる。 小さな部分から広がる想像上の「あるであろう」世界、「形」になる前の原初の風景、誰もが持つ心のポケットの何かに囁きかけるメッセージなど、クレーの作品から生成される「何ものか」と対話しながら、私はここ数年来、こうした音楽のための場で「クレー・リサイタル」を企画してまいりました。 そして今回もやはり、、、クレーが、そっと微笑んで、そこに、いる……。 私はただ線だけで描く。 物質のくびきからときはなたれた、 純粋な精神の表象である線を用いて描く。 余計な分析的なものは切り捨て、 大胆直裁に本質そのものに迫る。(クレーの日記 t920~) よって本日の演目は、バッハから福士則夫先生の作品に至るまで「美しい喩え」「プライベートなもの」「きらりと光る断片(小品)」を感じつつ時空を越えて自由に選曲し、後半のプログラムの中には緩やかなシンメトリックな「仕掛け」を編み込んでみました。この「“引用”された迷路」を抜け出た後には、いったい心にどんなモノが残るのでしょうか…?皆さまと、「声」にも呼応するピアノ音による“彷徨い歩き”をご一緒できることを楽しみに演奏いたします! ●ジョン・ケージ:18回目の春を迎えた素敵な未亡人 (ピアノとピアノ蓋打楽器) 言葉遊び、二重含意に満ちたジェイムス・ジョイスの小説「フィネガンズ・ウェイク(アイルランドの寓意のある歌に因む)」から引用されたある部分に基づいて作曲された打楽器の要素を伴う歌曲。この曲は歌手と打楽器奏者の二重奏で演奏されることもありますが、今回私はピアノの前に座り、ピアノの蓋を叩きながらピアノは弾かずに、歌を歌う”1人2役”を演じます。実はこれが“ピアニストの隠れたスタンス”であることを宣誓するための、はじめの曲、として。 ●J.S.バッハ、D.ショスタコーヴィチ、福士則夫の3者の時空を超えた語らいについて 福士則夫先生はこの古民家のご主人、小俣敏生さまとはなんと中学時代の同級生でいらっしゃり、日本を代表する現代音楽の作曲家です。福士先生の『とぎれた記憶』は、バッハ没後250年にあたる2000年に作曲された作品で、バッハの『マタイ受難曲』で度々登場する重要な「受難コラール」の〈D dur〉の旋律が「引用」され埋め込まれています。要するに、「歌」が内包された曲です。 また、ロシアの作曲家D.ショスタコーヴィチが、J.S.バッハ没後200年にあたる1950年に作曲したのが、『24の前奏曲とフーガop.87』です。 今日はその中から前半プログラム最後に〈D dur〉を取り上げます。これは多種多様な様式、表現、構造の創意がひとつの全宇宙を映し出したと言われる J.S.バッハの『平均律クラヴィーア曲集—24の前奏曲とフーガ集—』を意識した曲集です。よって本日は、このJ.S.バッハの同名の曲集からも〈Es dur〉と〈h moll〉の2曲を演奏いたします。 さらにショスタコーヴィチの20代の頃に作曲された、より自由度の高い『24の前奏曲op.34』からも冒頭の3曲を投入いたします。そして、ショスタコーヴィチの生誕100年を迎えた2006年に、福士先生はピアノ曲『霧の深い朝』という作品も書かれていますが、この中で“ベースの音”として引用された象徴する4つの音が〈D〉〈Es〉〈C〉〈H〉であったことから、このプログラム中のJ.S.バッハとショスタコーヴィチの作品の調性の選択もそれに基づいています。 J.S.バッハとショスタコーヴィチと福士則夫氏という時代も国も違う作曲家の「時空を超えた対話」が、上記の連鎖からこのプログラム上でどのように響き合うのか…私にとって、とても興味がそそられる試みです。 ●J.S.バッハ:フランス組曲第4番 バッハの生きた当時の鍵盤楽器の組曲の慣習では、アルマンド(落ち着いたドイツの舞曲)-クーラント(フランス式の活発な舞曲)-サラバンド(スペインのゆったりした3拍子)-ジーグ(イギリスの軽快で速い終曲)のセットが定型でしたが、サラバンドとジーグの間に、小気味よい「当世風の舞曲」を挿入し自由度を増すことで、この「フランス組曲」でも勿論、その後の「イギリス組曲」、「パルティータ」「フランス風序曲」といった組曲の創作の中でバッハの独自性を強く打ち出していくことになります。ここでは歌謡風のエールに、フランス上流社会で流行した快活なガヴォットと優雅なメヌエットのテイストがこの組曲全体に絶妙に効いています。 本公演、後半最後のプーランクのフランス風の組曲(変奏曲)との“不思議なシンメトリー”も感じていただけたら♪ ●P.ブーレーズ:12のノタシオン どれも1分前後の12小節の12音列で書かれた12曲。1925年生まれのフランスの現代作曲家、若干20歳の才気漲る「極小の傑作」です。ブーレーズは画家クレーの「仕事の仕方」に心から魅了されていた作曲家の一人であり、クレーの『造形思考』は、12音という限られた音列のアイデアから、如何に組み合わせ、モチーフ相互に関係し、刺激し合い、効果を生みだすかという音楽の上でのブーレーズの試みに存分に発揮されています。本日、後に弾く八村義夫作品と比較して、西洋(ブーレーズ)と日本(八村)の「極小形式」への緊張感の違いや類似を、皆様と一緒に私自身も楽しみたいと思います。この「ふたつ」も、後半プログラムに編み込まれたシンメトリックな仕掛けの「ひとつ」です。 ●L.ベリオ:「鍵盤」シリーズ 〜空気・火・水・地のピアノ〜 ブーレーズと同じ1925年生まれのイタリアの現代音楽の作曲家。この4曲の「鍵盤」(~ピアノ)シリーズにも表れているように、ベリオは、ブーレーズと同じく戦後のモダニズムを象徴するセリー技法を押し進める最中においても、三和音の従来の和声的響きを削り取るよりもそこから叙情的な側面も残し、ペダルの独特の使用法や、小節線無しの譜面から浮遊感のある音響を浮き上がらせ、全く新鮮なピアノを聴かせてくれます。 今回は前半に80年代に書かれた『空気のピアノ』『火のピアノ』を、後半には60年代の『水のピアノ』『地のピアノ』を配置いたしました。テクスチュアの密度や、層を重ねること、また音色の質についての生涯に渡るベリオの探求は電子音楽や劇作品へと広範囲に及ぶものであり、ブラームスやシューベルトといった過去の作曲家の作品に音響的な「注釈」を付けて復活させるなど、「編曲」を越えて“隠れていたものを露わにする”ベリオの「解釈」の方法が創作の礎にありました。 ●S.シャリーノ:プレリュード 1947年イタリア生まれの今に生きる現代音楽の作曲家。フルートなどの楽器の新たな特殊奏法を次々に生み出し、バッハやラヴェルなどの作品の編曲やその断片の「引用」によって度々作品を発表しています。作曲家本人の言葉によれば、それらは「古くからある曲の形を新しいものとする作業」であり「(ある古い作品の)革新的な側面を顕わにする」という表現で説明しており、前のイタリアの作曲家ベリオの創作態度を引き継いでいるように感じます。この「プレリュード」は特定のある作品の「引用」ではないものの、従来の決まり文句である、各種のトリルとグリッサンドの組み合わせのみで出来ています。譜面は、ほぼ1オクターブごとに区切られたラフな音域が記された小節線無しの左右で8本の線上に(一般の五線譜では左右合わせて10本)、○と●が矢印や曲線によって自由に運動しているように見える風変わりな図形楽譜の様相をしています。さて一体どんな音響になるでしょう?韻律や語形変化のランダムな集積を”聴く”ような体験になるかと思いますが、皆様と共に、演奏者自身も同じく新鮮な心境で臨みます! ●八村義夫:ピアノのための即興曲 こちらは1938年生まれの八村義夫の19歳の頃に書かれた作品で、義太夫浄瑠璃の幾つか、東海道四谷怪談、一茶の俳句などが反映がされているという「5つの短い断章」です。ここでは即興ではなく「衝動」の意味が強く、緊迫した空間との継続的連続を、赤く切り立った情感の中で行おうとした、と作曲家は語っています。何かを「模倣」しようする、そういった古代ギリシャ以来の芸術のあり方ではなく、あくまで、徹底的に!、内面の感情の発露に!、全神経を!、集中させる。 ●F.プーランク:ナゼルの夜会 「リエナール叔母の思い出に」捧げられた曲集で、ナゼルの叔母のサロンの夕べに出入りした人々を音楽で描写した組曲です。その場での「即興演奏」と「書く行為」との往復の中から生まれたプーランクの「奏法」は、無調の方向に舵を切った20世紀現代音楽とはまた違う、徹底的に「ヒューマン」の面を浮き彫りにする感情の走馬灯です。 低音部で鳴り響く衝撃や衝動に、滑らかに動き回るようでいて非常に断続的な音型、色彩、感情の移り行きに、単なる気まぐれ以上の「酸いも甘いも嚙み分ける」作曲家の深い「祈り」を、私はプーランクに向き合う時はいつも感じて演奏しています。あらゆる「思い出」が浮かび上がる…「最も美しい喩えのひ・と・つ♪」

★ハウスコンサート前半 動画

★ハウスコンサート後半 動画

アンカー 1

★瀬川裕美子ピアノリサイタルvol.9 & vol.10 

『ブーレーズ:第2ソナタ』別様の作動 2 in 1 in 2  

                   @ トッパンホール

★終了致しました。<(_ _)>​

vol.8 『窓のあるコンポジション』~B’ ノタシオン ⇔ ソナタ ⇔ バガテル

ブーレーズ: ピアノソナタ(全3曲) × ベートーヴェン : 6つのバガテル

  に続く “パウル・クレーリサイタル”第5・6弾!

★別様の作動 2 in 1 in 2 ブログ

─他のすべての他者たちを含む自由がすなわち自分自身である─他性を担いつつ─自由は与えられるものではなく、常に取り戻すもの─とするブーレーズのかけがえのない「唯一性」。様々な過去と未来の派生・連鎖・転移する個々の他者たちと関わりゆく“複合的結びつき”をなして、時間的に生起する一まとまりの「現実性」のもとで「今」、自らを語る方法を「形成(Bildung)」する。パウル・クレーの「宇宙的なもの」と「人間的なるもの」とを同時に連想させる、内的で秘密に満ちた”生の啓示”を含み込んだ、この二つ(複数)の植物的な諸相・絵画。ここでの大きな全体的運動を押し広げて、音楽の新たな秩序で「問い直し」たらどうなるだろう?

 

『ブーレーズ:第2ソナタ』 ふたつで一つの ひとつに二つの 別様の音響のモデル 2 in 1 in 2

パウル・クレー: 双生の場所 

サントリー芸術財団佐治敬三賞推薦コンサート

プログラム

パウル・クレー: 植物的で不可思議な

2023年10月14日(土)

(vol.9) 【その1】 双生の場所:B × B ×…地続きの間隙・モザイク・透過

         die Stelle der Zwillinge

クルターク  8つのピアノ小品 作品3 (1960)

G.Kurtág   Acht Klavierstücke op.3   

 

ベートーヴェン  ピアノソナタ第29番 変ロ長調 作品106「ハンマークラヴィーア」から〖第1.2楽章〗

L.v.Beethoven   Sonate für Klavier Nr.29 B-Dur op.106 "Hammerklavier"-1.und 2.Satz 

 

ブーレーズ  ピアノソナタ第2番(1947-48)から【第1楽章】

P.Boulez   Deuxième Sonate pour piano -1er mouvement

 

福士則夫  とぎれた記憶(2000)

Norio Fukushi   Dislocated Memory for piano 

 

ブーレーズ  ピアノソナタ第2番 から【第3.4楽章】

P.Boulez   Deuxième Sonate pour piano -3e et 4e mouvement

 

***

 

ベートーヴェン  ピアノソナタ第29番 変ロ長調 作品106「ハンマークラヴィーア」から〖第3楽章〗

L.v.Beethoven   Sonate für Klavier Nr.29 B-Dur "Hammerklavier" -3.Satz

 

ブクレシュリエフ  群島Ⅳ(1970)

A.Boucourechliev  Archipel 4 pour piano

 

ブーレーズ  ピアノソナタ第2番 から【第2楽章】

P.Boulez  Deuxième Sonate pour piano -2e mouvement

 

ベートーヴェン  ピアノソナタ第29番 変ロ長調 作品106「ハンマークラヴィーア」から〖第4楽章〗

L.v.Beethoven   Sonate für Klavier Nr.29 B-Dur op.106  "Hammerklavier" -4.Satz 

2024年1月27日(土)

(vol.10) 【その2】 植物的で不可思議な:to B 個体・ほころび・創発  

          Pflanzlich-seltsam

ルイ・クープラン  フローベルガー氏の模倣による前奏曲 イ短調

Louis Couperin   Prélude a-moll “à l’imitation de Mr. Froberger”

 

クセナキス  霧(ミスツ)

I.Xenakis    Mists

 

バルトーク    戸外にて 

B.Bartók   Im Freien  Sz.81

 

J.S.バッハ  イギリス組曲 第3番 ト短調  作品808

J.S.Bach    Englishe Suite  Nr.3  g-moll  BWV808

 

シェーンベルク  3つのピアノ曲 作品11 から第3曲  動いて

A.Schönberg  Drei Klavierstücke op.11-Nr.3 Bewegte

 

***

 

星谷丈生  四季 -ピアノのための-(2016)

Takeo Hoshiya    Four Seasons for piano 

 

ブーレーズ  ピアノソナタ第2番(1947-48)【全4楽章】

P.Boulez   Deuxième Sonate pour piano 

【その1】(vol.9) 双生の場所:B × B×…地続きの間隙・モザイク・透過

生誕100年をやがて迎えるBoulezとB… とB

曲の綾が進むうちに、厚みを増して我々の意識の中に定着する・・・

ブーレーズは「他者」を全ての始まりに据え、その「他者」との関係を中心にして自らを語ってきた(書く・演じる)。実際このベートーヴェンの『ハンマークラヴィーア』の4楽章形式のピアノソナタに向き合い、身を持ってその痕跡すら残さない形で解体、更新を繰り返した「痕」がこのブーレーズの『第2ソナタ』。無限の多様性をもつ有機体として、絶対的に「創生(Genesis)」を全ての営為の前提に据える「変奏」の原理が違った形で顕れたベートーヴェンのAdagioの第3楽章と、ブーレーズのLentの第2楽章を、ここで敢えて『群島Ⅳ』を挟んで対置させた。繁みを越え出て、「透過」してきたプロセスが重要で、いづれも体験されるべき後戻りできない時間性を持つ。そう!ベートーヴェンの身振りは否定されるどころか益々再検討され強化されている。

Beethovenの分析家でもあり、Boulezと同じ1925年生まれのBoucourechliev(ブクレシュリエフ)の『群島Ⅳ』のB1サイズ大の譜面には、14のモチーフのアイデアの「島」と、その周辺に音響体を形づくるための指示表示に溢れた「断片」が、演奏者の「その都度」の“選択と組み合わせ”による“音の場の変化”で違う景色を映す「モザイク的世界」が描かれている。ベートーヴェンが「あの時代」に“奇妙な組み合わせ”で構成要素を並べた、まさに弦楽四重奏に度々みるような、あの音響的複合体をなんとか「この場で」実現してほしいという願望が伝わってくる。このプログラムにおいて「ソナタ」が“クロスした配置”決して“ひと続きで演奏されない”ことの残酷さ、もどかしさを露わにし、それがまたビビッドにもする。童心で駆けずり回るクルタークの遊戯性、「追憶」が埋め込まれた瑞々しさと、メカニックなものを並列的な筋立ての中に聴く福士則夫の『とぎれた記憶』、これら“パ―カッシヴな触発”が「間隙」を縫って“潜在的な糸”を手繰り寄せる……。

二重三重化された複数の目による 絶え間なく開かれ編み直される B×B×…の記憶を 今 新たに誕生させる・・・

【その2】(vol.10) 植物的で不可思議な:to B 個体・ほころび・創発  

                                

テクスチュアが ピアノという楽器自体を変える

形式とは もっとも見つけにくいもの・・・

ブーレーズの“大いなる濃密性と表現の激烈さ”も、まずは彼の『第1ソナタ』の創作時に彼を“完全に異なるピアノ書法”「錯乱の楽器」という新しい器へ向けてくれたシェーンベルクの『3つのピアノ曲-第3曲』があった。本来「ピアノ」に限定されるはずもない「今ここ」にある一箇の閉じられた「もの」としてではなく、あらかじめ「個体」の生死を超えて持続する時間性のうちにある「ピアノなるもの」。他者(外部)の触発で主体の一貫性や統一性に「ほころび」が生じ、開かれた身体性とも言いうるような動態として“現出する意味空間”。そこで“鳴り響くもの”を聴く。ブーレーズは、Sonare(鳴り響く)に由来する“定かならぬ意味内容”を持っていたはずの「ソナタ」を使って、破壊的身振りでなんと「脆い」ものを伝えようとしたことか。

バルトーク『戸外にて』の内面にも外界へも遠心的に広がりをもった<ミュゼット>のバグパイプの長い“保続低音”は、次曲の『イギリス組曲第3番』の<サラバンド>へと引き継がれる。「組曲」か「ソナタ」かの境目が曖昧なバッハの複数の舞曲からなる「組曲」の系列は、形を変えて時空間に動く伸び広がりを“何らかの仕方で”有している。確率論や統計数学を使って濃密な“線的ポリフォニー”の変容を、空間を満たす“音響の出来事”(クラウド)の中で暴くクセナキスの『霧』、全音符と自由な曲線で記譜されたノン・ムジュレ(拍節の無い書法)の譜面から、奏者の“即興的瞑想”のうちに浮かび上がるルイ・クープランの前奏曲、顕微鏡で覗き見るような幾何学的に拡大された五線譜のうちに伝統的な音楽と結びついたリズムや響きとの強いつながりを持つ星谷丈生の『四季』は、聴く者に日本の四季絵を眺めるような“移ろう時間”と“架空の踊り”の印象がもたらされる。

to B 『第2ソナタ』へ… 越境した音響の出来事を孕み ぶ厚いテクスチュアが 浮かび上がる(創発)とき・・・

★(vol.9) 【その1】 双生の場所:B × B ×…地続きの間隙・モザイク・透過

前半

後半

★(vol.10) 【その2】 植物的で不可思議な:to B 個体・ほころび・創発

前半

後半

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