スイスの旅Klee、Boulezに会いに行く✨③
- yumiko segawa
- 6 日前
- 読了時間: 6分
🇨🇭衝撃と感動が持続する…
そんな展覧会にはちょっと無理をしてでも🥹🐾
・Art Brut (ローザンヌ Lausanne)
・後期のCezanne (Fondation Beyeler in Basel )
Bern↔︎Basel リサーチから小休止の日は、レマン湖の北岸のローザンヌに足を運びました。フランス語圏でしたがこちらもスイス🇨🇭。
クレー・センターの2つの上質な連動企画展に加えて、とにかく数年前からのお目当ては「アール・ブリュット Art Brut」。
そしてもう一つはなんといってもバーゼルのバイエラー財団 Fondation Beyeler で開催中の後期セザンヌをフォーカスした展覧会が素晴らしすぎたのでその感動を引きずっています…🥹✨
ZPKでキュレーターの奥田修さんにバーゼルに行くなら、と1/25〜の貴重なホヤホヤ情報を得て、前日に慌ててネット予約…しかもパウル・ザッハー財団でのリサーチのお昼休みを利用しての綱渡りで、トラム乗り継ぎ走って走って、郊外のバイエラー財団へ駆け込み💨
あぁ無理しても行く価値がありました…🫶
まずはアール・ブリュット。
「生の芸術」。
-障害者の表現?
-アウトサイダー・アート?
紫織さんのご投稿でも、刑務所アートについて興味深いものを何度も拝見していましたが👀、ここで浴びた常軌を逸した「すごみ」もまた衝撃的でした。
ここで観たアドルフ・ヴァルフリの描いた曼荼羅のような、謎の譜面も描きこまれた空間を埋め尽くす3面の屏風にもなった巨大な作品群にも驚かされる…!35歳から作曲を始めたようでしたが、クレヨンで制作されたグラフィック作品が散りに散りにされた25,000ページが存在するようで、そこにはコラージュや文学創作、楽譜も含まれていると。
そしてオーギュスタン・ルサージュの作品も壁に大きく展示されていてソファに座って思わずしばらく眺めてしまった…🌫️
微細なモチーフからなる架空の建築構造を、小さな筆で巧みに加工して、対称性の原理が支配的な役割を果たしている。だから、なんとなく一種の曼荼羅に見えてくる。
つぎつぎと、もう名前と作品の一致が追いつかないのですが、非常に「憑かれた」感覚は、なおざりにできない領域だなと。
なにしろ、アウトサイダー・アートでもそれぞれに「錯乱を組織」しようとする闘いの痕が生々しいから。こちらも前のめりで引きづり込まれてしまう。
刺繍🪡で「まる」を描き続ける日本人の河合由美子の作品も印象的でした。
提唱者の画家デュビュッフェは「文化的処女性」と「純粋な独創性」を最重要視しているのですが、ちょっとユングとジョイスの間でのおもしろいやり取りをおもいだす…🤔
河合隼雄さんと谷川俊太郎さんの対談『魂にメスはいらない』の中で語られたことなのだけれど、ジョイスの娘さんは、分裂症だったようですね。そこでジョイスは娘さんの描くアートは「新しき芸術家だ!自分よりももっとすごい芸術家だ!」と確信を持って娘さんを連れてユングのところへ相談にくるのですがユングは「あなたは芸術家だけれども、お嬢さんは分裂病にすぎない」と答えたというのです🫢
「無意識がそのまま出てきているだけだから、芸術ではない」
それがユングの見解だったようです…🤫
そう、スイスって精神心理学の発祥の地でもある。。
特に心理学について詳しい友人も近くにいたクレーも、まさにいつも作品でそのことを突き付けてくることなので…
そしてこの時期の企画展の最後を飾ったのが圧巻のロール・ピジョンLaure Pigeonの作品群。
「無限に青く…?」というタイトルかな。
とにかく青インクで描かれた線から塊へ…
この道程はちょっと書き表わせない。
感激したのでこの画集を買ってしまった!そしてこの日はごはんちょっと抜いちゃった…🤭
それでも平気。ピアノ弾かない人は深刻にお腹空かないのです😋
こうなってくるともう書くことが限りなってくる📝私の親指、心に追いつかない。
少しはしょりぎみで。
結局、ローザンヌ駅前の「Plateforme 10」での3展覧会、割引デイにて全部みてしまい長居しすぎて、、ここは、建築に見惚れました。こんな発想があるんだって。かえって視界を小刻みに垂直に限定することで光のありがたみが分かるというか、広く窓枠をとったスペースでは、コンサート♪
武満徹の「そして、それが風であることを知った」…
そしてレマン湖畔のウシーOuchy にも地下鉄で20分で行けるのに…うう、時間が足りない💦
結局、ローザンヌ大聖堂周辺の旧市街にたどり着いたところでタイムオーバー😉
レマン湖は、ICEからの眺めだけになったけれど、一目でも遠くから見られて良かったとしよう。
あとは、数日後に感激したバーゼルの
Fondation Beyeler で開催中の後期セザンヌをフォーカスした展覧会。
この企画はぜひ日本で開催しないかしら🥹
最後のお部屋のセザンヌの一連の水彩画…特に圧巻でした。
りんご、りんご、りんご、りんご…サント=ヴィクトワール山 サント=ヴィクトワール山 サント=ヴィクトワール山、庭師Vallier 庭師Vallier 庭師Vallier、岩、木の枝、岩のひび、木の枝、岩のひび、、、
セザンヌの描く「対象」だけが、初めはりんごが本当に輪郭がくっきりしていて主役で、光り輝いていてほんとうに愛おしくて。
で、周りの布巾はどうなの?
セザンヌが自然の中に進出していくときには、岩のひび、木の枝、が同化していくのか、いや、岩の“中の”線が拡張しているのか、木々は岩の延長なのか、、、🤔
森の中に浴女たちがいる時は、彼女たちは緑の中で影響を受けて…彼女たちの体の“中の”線は、まるで木々の面影のように、でも、木々と浴女たちの間には、他のものとして、同化することはなくて、
描かれない余白はそのままに、光として、描かれる。描かれないことがそのまま光に。
山々の中にピンク色が描かれていることに、すごく親近感を感じてしまって。
車窓から見えるスイスの山々でも、ホドラーの描くアルプスの山々でもどこかにピンク色が見えると、また光を見た!という気になる✨
とにかくセザンヌの対象への愛が、現実の視覚では目に見えない“空気感”を描くことでしか、立ち現れてこない奇跡をすごく感じることができて、それが後期のセザンヌに、どんどん現れてくる。
それを禅でいう、見性(けんしょう)ってこういうことなのかとつくづく。
私の尊敬する人がぽつりと、教えてくださったひとこと。
音出すときも、言葉を紡ぐときも、これなくして、この先、なかなか生み出せないんじゃないかと。
もう、ちょっと躊躇するくらいでいい。なんだかそう思えました。
これを持ち帰れただけでも、本当に良かった。
そしてその直後も、パウル・ザッハー財団に戻って、ブーレーズのスケッチを見続けました…
超アナログ手段:マイクロフィルムで、何本も何本も…
彼もすごい境地で下地を拵えてる。選び取られた音、出てくる音響、それはもうセザンヌがやっと描き出した奇跡的なほのかな対象のように、以前よりもっと愛おしく聴こえてくるはず…🥹✨












































































































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