「穏やかさ公演に参戦」の演出について🤫🫧-アンサンブル室町×夏田昌和先生『日々是好日』公演
- yumiko segawa
- 9 分前
- 読了時間: 4分
13日(金)公演に参戦☆
「穏やかさ」の演出について🤫🫧
カオスで人の顔すら“作り込まれた”感の😂新大久保の喧騒を、一本通り抜けて“アットホーム”なルーテル教会へ。
しかし満席ともなると異様な風景⛪️でもあり、いまは“夜🌙”のはずなのに、“昼間”🌤️の木漏れ日のような正面のステンドグラスの光を無意識にも浴びつつ、2時間の「日々是好日」に浸る…🫧
Bach音型にも象徴的な「ジグザグ音型」は、それなりにNatsuda先生節を学生時代から時に触れて鑑賞してきた私にとっても、かなり親しみのある“動機”🫀。
学生時代の私の夏田作風は、限られた素材でストイックで、ストイックな印象でした。
決して「広がらない」ことを自らに課しているかのように、限られた音型で、限られたマジックで、厳しい音楽として感じていた。このストイックさが、当時私を刺激しました…⚡️
今宵も、前半はほぼ「ジグザグ音型」に彩られていたものの、終始その音型の性質とは“裏腹に”、まるで作り込まれた静謐さを演じるかのように、決して寝た子を覚まさない穏やかさで、休憩まで保っていた…。
(しかし、尺八の黒田鈴尊さんの「しぶき」は、唯一この前半で強烈な風をひき起こすものだった🌪️)
演奏会では、
“聴いてるのに寝ている💤、、”
これを「レム睡眠」というのかもしれないけれど、これが許容されてもよいのかと思わせる前半🌱🫧
夜に木漏れ日を感じさせるアーティフィシャルなこのルーテル教会の内部…「揺り籠から墓場まで」抱き込むこの世代的にも、時間的に広く抱き込む教会という“場”の特性が、本当に老若男女集った昨日の聴き手の皆さんの客層にも表れていたようでした👱♂️🧑🦳👧👵🧓👱✨
「寄り添う」ことは夏田先生が最近時に触れて発されるフレーズ💭
先生の好まれる谷川俊太郎さんの普遍的なことを「ゆるく」語るあの調子が、朗読の湯川ひなさんの声と共に、このレム睡眠💤を許容する「木漏れ日」ワールドにぴったりだった🌳
正直、策略家クレーを語るには、「ゆるすぎる」?🤔と個人的に感じている谷川俊太郎さんの言葉の調子は、ひとつの「態度」を表明している。
そこに、“共鳴”する、もしくは“寄り添う”か、、
夏田先生の仕掛ける「穏やかさ」は、敢えて「挑戦しない」態度でもありつつ、特に前半はドラマ性を作らない面において、あの通奏低音は相当に「アーティフィシャルな静謐」であったのではないかとあとから思えてくる🤫
何もないかのような/なにも映し出されていないかのような真っ黒なスクリーンは、実は無数のノイズで出来ているはずなのに、それをまるで、静かにコントロールしてしまうかのように。
まさに、「穏やかさ」の演出…🫢
レム睡眠💤に誘われたとしたら、その聴き手は、してやられた感…とも?🤭🤭🤭
前半最後の『二重にされた昔の歌』、
これは2008年バージョンで拝聴し、私もお気に入りだった曲。しかし昨日はその「懐かしさ漂う民謡調の旋律」、あの下降はe-d-h-aだったと思う…それがなぜかPucciniの「トスカ」のアリアに聴こえてならなかった😂
しかも、執拗に…
反復するぶんだけ、「変わらなさ」を演出しているかのように…
そして、後半の愛の二重唱へ。
個人的な意見ながら、ハイライトは、最終曲の、
西洋古楽器と邦楽器による大アンサンブルのための『オルフェオの嘆きのアリア』でのひとコマ。
副次的なカノンの場面だったかもしれないけれど、ある下降音型をリコーダー🪈+尺八(もしくは、リコーダーのみ)で奏でた旋律が、オルガンに受け継がれたときの「柔和さ」。
そして、この音色の発見💡に驚いたと同時に、
次いでそれが、チェンバロで受け継がれた時の「異質さ」。
これぞ、アンサンブル室町ならではの戦略!?それを使い込まれた夏田先生の献立による凝縮した一場面だったのではないかしら✨
と勝手ながらに感じておりました。
あるひとつの「態度」として、「穏やかさ」は、ときに「作り込まれて」こそ、保たれるのかもしれない😎
だいぶ聞き手として素直さが足りなくなってきたかもしれません😂現世の「善」がかなりアーティフィシャルでなければ、「日々是好日」は訪れないかのように。
「願い」は、ひとつの、「attitude...」
この世は「性悪説」なのだから🥹
あの世だってそうかもしれないのだから、、、👤👤👤








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