集中して聴くことができない環境(BGM)で聴く/弾く、山根明季子氏の生演奏から見えるものーAll systems fail/Sarah Morrisを連想してー
- yumiko segawa
- 1 日前
- 読了時間: 4分
普段は潜む
「“アナタ”と“ワタシ”の隔たり😈」
について、考えさせられた…🫥🤫🫥
山根明季子さんが仕組まれた「BGM」によって!
両国橋のほとりで音楽祭2026
今年も始まりましたよ〜🏮
音楽祭初日の体験は、聴き手それぞれに特異な事だったと思うので、ここで書き留める事はいち、聴き手の勝手な覚え書きです🥹📝あしからず…
実は、山根さんの「生」演奏が次第に“熱く”なっていったのは、私の妄想かもしれない🤭。それもちょっと製作者の期待外れだったようでもある。不思議な仕組まれた高揚感で、更にふと湧き上がるあまりにも人間的な高揚感に、生演奏への感じ方の“確信”が常にブレそうなギリギリの体験でした。
どんなにその関係性--生演奏と聴き手--がダイレクトだと思いこんでいても、たとえば、それが日常的にどんなに信じている人(コト)であっても、そこにはどうしようもない「あいだ」が存在することを自覚させる空間配置。
それを山根さんは、「BGM」という形で、我々を取り囲む、奏者によって仕組まれたループ🔁される音のインスタレーションによって、山根さんの生演奏との「介在」を猛烈に見える化、聴こえる化した⚡️
それが、今日の演者曰く、
「集中して聴くことができない環境📻💭」
だったわけです。
何を聴くにも、何を意識するにも、介在してくるBGM。
このBGMありきの現象は、ある意味とっても自然すぎることだったのです。渋谷を歩く時、🌳を歩く時も両国を歩く時も、そんなことはいたって自然なので、実は違和感のない連続性を山根さんはふと私たちに与えてくれたのです。
個人的には🇨🇭クレー・センターで体験したサラ・モリスSarah Morris(1967〜)の展示を思い出して、オーバーラップした。作り込まれた映像と画像の作品と、走り書きのメモ書きが連続的に展示されたあの記憶…。https://youtu.be/6RzzDP3sCGE
そうよ、これはいたって自然なこと。
初めは(!)…そう思っていた…
でも、
All systems fail ⚡️
(🇨🇭のサラ・モリス展のタイトル)
“あらゆるシステムは、期待されていたあるべき状態にならない”
なんというか、そんなどうしようもない、私たちと、私たちを隔てる値の知れない「あいだ」のことを体験させられてしまったのです🫢
私たちに働きかける原因は、つねに、「BGM」なのだ!!
そういえば、生演奏を肌で感じる感動の瞬間というのは、まさにあの“手触り”だったよね、と確認。🤔
それは、小さなあらゆる“変化”の集積であって、それをいつも“直接”受け取っているように感じている、あの手触り。
山根さんのサティや自作の「状態」の生演奏に、こちらから手を伸ばしても届かないような、BGMによって隔てられた、ある種のもどかしさ。
いつも私たちはコンサート会場では、BGMなしで、聴いているはずなのだけれど、私たちの周りには、普段は気づかないもっと微細なノイズに取り囲まれているはず。そしてましてや、そう、「雑念」というどうしようもない脳の痕跡🧠が、生の音とのあいだに“スクリーン”として立ちはだかってはいないか?!🤣
実は、これは大きな魔物😈
でも、今日はあいだにBGMがあったお陰で、このBGMと共にいながらそれにむしろ抗おうとしながら演奏する勇姿(山根さん😊)、BGMによって生の手触りを無意識にも抗って聞き出そうとする私、が見えてしまった。
作り出された、愛すべき“労苦”でしょうか😂
それによって、なぜか「あいだ」を意識して、生演奏の音は、本来「ダイレクト」だと感じてものが、「仮想」でもあったのではないかという疑惑に包まれ…💭
聞き流しがかえってできない、雑念も相手にできないような違和感に苛まれた。
というのも、BGMの向こう側で、次第に山根さんの音に、変化を感じてしまったから…
これが、
All systems fail なのか⁉︎🤔
これはとても良い意味のエラーだと受け取りたいのです。影響を受けてる姿は、もっとも人間らしい☺️✨普段は見えないエーテルを、顕現して、自らとても「演奏」という行為のハードルを上げて、健気に立ち向かう山根さんを応援すらしてしまいそうになったのですから🥹
BGMがあっても、自分のサティに平然と集中したかった、と語る山根さん。
でも、そこに、取り囲まれた、しかも山根さん自身で仕込んだ音たちのインスタレーションによって、力が漲ったように、次第に栄養を得て音が熱くなっていく山根さんのサティは、とても感動的で、
とても良い意味で、
All systems fail
だったのかもしれない🥹✨
“あらゆるコトは、期待されていたあるべき状態にならない…”
こうして、皮肉にも私たちの日常に帰ってきたのでした。私たちは、涼しい楽しい門天から出て、また灼熱の中帰らなければならなかったのです😆


































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