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  • yumiko segawa

「 都市の境界 Stadt Ende」 ~輝きと輝きの間の戯れ ⇔ 戯れと戯れの間の輝き~



パウル・クレー プロジェクトとしては第4弾のCD製作になりました💿


「 都市の境界 Stadt Ende」

~輝きと輝きの間の戯れ ⇔ 戯れと戯れの間の輝き~

ゴルトベルク変奏曲以来、7年ぶりのバッハ・アルバム!?---イタリア協奏曲とフランス風序曲がkey。


12/9に船出です!🚣‍♀️

個人的には本日無事着。


この絵画を見ていく、解釈していく作業と、演奏すること、通して聴いていく作業が、謂わば「CD製作そのもの」を「自己言及」して行くようなあり方を目指しています👥✨


---「パスピエ」を透過するピアニスト🏃---


これ以上ない、CD制作者としてありがたいお言葉を、パウル・クレーやゲーテ研究の、尊敬する芸術学の前田富士男先生に、示唆に富む文章の中で寄せていただきました🙇ここでは「禅」のお話で終わる!


さて、題名でもある『都市の境界』は、クレーの1926年の作品です。

解説めいたことは、ネタばれのようになってしまうけれど、かなり越境した解釈で試みました💡

結果的に湯浅譲二先生の『プロジェクション・トポロジク』の抽象性を間に挟む形で、馴染みのある曲が踊ります♪


----バッハのイタリア協奏曲・フランス風序曲の外枠は、どんな役割なのだろう…?🤔


『都市の境界』は、実際に「街のはずれEnde」、つまりデッサウのバウハウス・デッサウ校近郊のテルテン地区に建設中だった、同じくグロピウス設計のジードルング(集合住宅)の様子を、建設「後」の姿も含めて、可視的な状況でなく、未来の時間性、または「不可視なもの」、そんな形態まで描きこんだ、奇妙な議論を呼ぶ作品です。

イメージの上では、とてもリアルな世界!

「制作」を語る上では、ジードルングが、またとないクレー的素材になってしまった!!私も、そこに追随する🙋


水平連続窓のジードルングは、この画面上で、その周辺の点描と共に同化するようで差異を生む、不思議なリズムを刻んでいる…🤔✨


7年前からSegaway-projectでクレーとの共同作戦をゆったり、じっくり考えて実践してきたつもりだけれど、クレー作品との向き合いは私にとってこれまで本当にぎこちないもの🙁来年はSegaway-projectリサイタル、CD製作を始めて早くも10年になるのを前に、このクレー・プロジェクト第4弾CDでは少しずつその方法論が納得いく形で、「不安定に※」、噛み合ってきているような気がしているのです…✨


※何しろ、「生」の制作論。


programは、非公開だったバッハレクチャーコンサートと「B→C」のプログラムが奇妙に解体・再構成の形に相成りました。


--program--


・J.S.バッハ: 協奏曲 ヘ長調 BWV978 (原曲-A.ヴィヴァルディ:「調和の霊感」op.3-3)

・J.S.バッハ:イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971

・ショパン : マズルカ Op.7-1 変ロ長調

・バルトーク:≪ミクロコスモス≫~「6つのブルガリア舞曲」より 第150、151番

・ショパン : マズルカ Op.56-2 ハ長調

・バルトーク:≪ミクロコスモス≫~から 「6つのブルガリア舞曲」より第152番

・ショパン : マズルカ Op.33-4 ロ短調  

・湯浅譲二 : プロジェクション・トポロジク 

・J.S.バッハ:フランス風序曲 ロ短調 BWV831

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パウル・クレーをはじめ、常にこの「製作」には感謝すべき、導き手と仲間の存在がありました。


信頼するやまねこデザインの山入端祥太さんは、いつも考案するコンセプトを、話し合いのなかでデザインとしてどう落とし込むかをじっくり練り上げてくださり、最終的には私以上にこのコンセプトを理解し深めてくださいます。そしてクレーの作品を大事に扱ってくださいます。


音響の小川洋さんは、音を覗きすぎない(集中しすぎない)、自然な聴取を目指すコンセプトで音響を整えてくださいます。そして名カメラマンでもいらっしゃるので、現場の空気感全体をここにおさめてくださいました!


また調律の大橋宏文さんには、2014年から、自宅でもリサイタルでも録音現場でも常にお世話になっていて、この音なしには、私は音響を想像できなくなっています!


トーンフォレストの寺師寛紘さん、巨大な音楽教室の運営や出張の合間も様々に動いていただきここまで漕ぎ着けることができました。クレー・シリーズ4枚、全てお世話になりました✨


そしてこの度は、クレーの製作論をめぐる研究論集、巨大なアーカイブの『パウル・クレー造形の宇宙』(慶応義塾大学出版会)の著者、私の心の師のひとりである前田富士男先生に、このプロジェクトを更に「透過」する内容として、芸術学のお立場からご言及いただけましたこと!✨クレー・プロジェクトがより言及性を増すことになり、とても嬉しく思います!


これまで公開されている前田先生の論文は、恐らくほとんど拝読したとおもいます(><)✨しかしその道程は、目から鱗という次元ではなく、もっと深い…それは時に頭が血だらけになるようなパラドックスの対位法に満ちていて、何度も私自身、生まれ変わらせていただきました🙇✨


今年東京に上陸したリヒター展でのお導きの『ユリイカ / ゲルハルト・リヒター特集』での、前田先生の「『位置価』を問う科学と芸術へ」の論考も何度読み返したことでしょう。


思考や思索は、演奏することを阻むものなのでしょうか…??

失うものより、より「自覚」が生まれるこの分野を、私なりに、これからも耕していきたいと思います😊

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