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  • yumiko segawa

南波克行×西田博至『映画クロストーク』@古書防波堤・・・「落下の解剖学」



EIC@上野・東京文化会館、昨日より優美なtwo daysの最中ですが、B面はこちら✨

★南波克行✖️西田博至『映画クロストーク』@古書防波堤



オンライン2回通しで参戦中🙌✨

初回の「落下の解剖学」はとにかく凄まじい90分のドンデン返し評論劇で、次回4/13「オッペンハイマー」が本当に楽しみです!まだ映画観ていない方も観た方にも⭐︎


映画人・南波克行さんの「熱い」ご本業現場に立ち会ったのは初めて⚡️勿論お隣には西田博至さん🕵️‍♂️


こんな熱い「映画評論」の激論の場にまともに居合わせたのは今回初めてだったかもしれない…

極論と極論の最中に、結論を遠くに飛ばすというようなもの凄い勢いがありました!!😳


フランス🇫🇷の監督ジュスティーヌ・トリエの『落下の解剖学』について。お二人の「解剖学」は

2016年以降の「ポスト・トゥルース post-truth」の状況が創造過程、制作論、心理的にも染み渡っている…?!様を、キーワードや数々の暗示からの読み解き🙌

トリエ監督の過去作品やオットー・プレミンジャー『ある殺人』(西田さんゴリ押し😎)引用も凄まじく、ありがたいお話です。


恐らく私もここでネタバレを含め何も語ってはならぬ🫢しかし…


・ポスト・トゥルース

・マチズム

・フェミニズム

・司法制度

・落下

・写真

・オットー・プレミンジャー

・ため息モチーフ

・映像

・ショパン

・録音

・作家

・snoopという犬

・主観

・翻訳

・フランス語

etc...


制作側の“全て”に、ここまで入り込んだ見方に、はじめこの映画のことを半ばディズっているようでいて「愛情」深いヨミ、純潔な感じ方、にこれは感動ものでした!

丁々発止と時に意見が分かれ、渡り合う相棒がいらっしゃり、評論はきっと1人語りより断然2人の激論のうちに生成されるものなんだ🔥とその場で確信した濃密な90分⏰


第1回『落下の解剖学』も、アーカイブならまだ間に合います💨


1ヶ月半前に公開された映画なので勿論お二人とも良心にかけてネタバレしないように尽くされつつも、もの凄いディテールに触れて真剣に切り込まれるので、私はまだ見たことのないこの映画の深層に、表皮を知らずして触れてしまったかのような不思議な感覚です。


だから今、私はとても想像力がいつになく逞しい状態😂


このお二人によって語られたことが、まるで私自身が「語る人」になるような、映画の中で主人公たちが真実でもないことについて「主観的」になり得たように、何か私の中の「記憶痕跡が動く」かのような…


そう!私の中でも「ポスト・トゥルース」が稼働しているように、映像の断片の提示すら一切ないお二人の討論「ことば」の場から、私の中での「落下の解剖学」がそれなりに準備され始めました🫥


ポスト・トゥルース状態というのはネガティヴな意味から始まっているはずだし、昨今の現実(司法制度の限界…など)に起こりうることへの「警鐘」でもあると思うのだけれど、西田さんがおっしゃるように、それがこの映画の手法として、どうも、、


「気持ち悪い」感覚…☺️


映像-音声-写真がバラバラに解体されながら、繋ぎ合わされて別の真実が生み出されていく…事実なのか、頭の中で思い描いたことなのか…?

これは、悪い意味で聴衆を「巻き込む」ことだけれど、何か重要な「不動のもの」を軸に、どんどん巧みにどこか、や、何か、と密接にリンクして新たに動き始める…

まるでそちらが真実かのように🕸️


こう聞けば、

マニエリスム・・・


--世界体験の諸矛盾をもいわゆる同じく分裂した世界基底の〈不条理な〉統一を見る---(G.R.ホッケ)


実際「観た」なら、それが真実であっても、その経験は時系列で正確にきちんと記憶にしまわれることはなくて、どこか凝縮されて、ある印象操作によって「記憶」として脳内に留められる。


その時に、とにかく音楽においても、政治状況やお天気でもそうであるように、ある種の「トリガー」を見逃してはならぬのですね🤔


今や何でも「動かせる」機能を持った私たちなので、これはトリエさんがこれでもかこれでもかって、私たちを「巻き込み」ながらきっと映画館で教えてくださるのでしょう!


こうした西田さんも「気持ち悪い」と言わしめた、このトリエ監督の「機巧を凝らした」マニエールは、現代音楽の創作にも“すべて”に関わることに違いない。


IRCAMの1冊目の出版物『la music en projet』(GALLIMARD)より、ブーレーズの「Donc on remet en question (従って我々は再び問い直す)」の論考中での意味深なひとことも思い出される。

(1975年のこと!)


---不可思議な力(魔術)に訴えることは、コミュニケーションの悲惨な状態を補い、失われた宇宙の秘密の一部である「原始的な」、直接的なコミュニケーションを見つけようと努めること:

それは、たとえそれがマニエリストの解決策を与えるだけであっても、表現手段の深い関連性の真の問題に付与する…


(訳は歪つなものですが(*_*

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