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  • yumiko segawa

《250年目のtell me…「B'」通信★end》 Beethoven!!Six Bagatelles op.126📖


《250年目のtell me…「B'」通信★end》

さて、250年目の『tell me』のleading man🕺は…??

本公演の「B面」📼でありながら、こちらの "B" が鍵を握っている!

Bee… Beethoven!!

Six Bagatelles op.126📖

~6つの断片~

裏★「B面」と言いましても、そもそも11/7は表も裏もB面なのだから🤸

B → B

否!

B ⇔ B

どれも、12小節のBoulez:ノタシオンほどではないけれど、奇妙に短くて、とっても「長閑か」なBeethoven:6つのバガテル。

↪️ノタシオン⇔ソナタ⇔バガテル

でも、本当に、長閑??

とんでもない!!(>_<)

32のソナタを創ったあとに、第9のあとに生まれた、このピアノ曲として最後の断片集で、遂にベートーヴェンが「丸く」なるなんて、そんなこと、あるはずがない…!!

穏やかになりすぎて、ベートーヴェンの数々のサインを見逃さないように、わたし、必死で弾いています😤

だってそのサインたちは、恐ろしいほどに、単純、明快👽

たった4小節の引用句だってさっと忍ばせてしまう!

そして、向きを変えてさっと立ち去る!

----「ハンマークラヴィーア」ソナタmov.1~、h----c--es--d-b--a-fis-g!!

だったり、

弦楽四重奏曲 op.131mov.1冒頭~。

fis-his-e-ais

だったり・・・

まだまだBeethovenの「引用」、「秘密の暗号㊙️」は探す人によって色々見つけられるかもしれない…🕵️この6つのバガテルの中に。

さがしてください!ヽ(・∀・)ノ

そして、この断片たちが、輝くためには、それ自体で成長していく有機的な形式は合わないのかもしれない。

だから、バガテルBagatelle~断片~。

「つまらぬもの」「とるにたらないもの」「ありきたりなもの」・・・

だけれど、

「ありきたりなもの」をどう置くか、どこに置くかで、崇高に輝く✨

なんと言っても、Beethovenのこの名言を思い出さなくては💡生来の天才と減七の和音をめぐる発言!

---青年よ、多くの人々は驚嘆すべき効果があると、それをひたすら作曲家天賦の才能のせいにしていますが、こうした効果は、減七の和音を正しく使用したり解消したりすることによって、いともたやすく実現できます、しかも実に頻繁に。

(P.ベッカー『ベートーヴェン』p.189)

ここでは「成長の歴史」を見るより、「歴史の痕跡」、もしくは「歴史の輝く残骸…」をみる、そんな身構えが必要なのかもしれない。。

アドルノの、いみじくも断片的にしか残されていない『ベートーヴェン論』に触れてから、私も思い新たにBeethovenに当たるようになった…

もう、「完結」とか「結合」、「完成」といった感覚は相応しくなくて、もしかしたらベートーヴェン全体を

<究極の断片であることを特性とするもの>として感じることもできるのではないだろうか??

とにかく本公演では、休憩を挟むにしましても、あのブーレーズの第2ソナタの散々な破壊交錯にあった後の、コーダのあとに引き続いた形で、このベートーヴェンの最後の断片op.126をプログラムに置いてみました🙋

それ自体に、私は一種の「挑戦」の意味合いを秘めていて(>_<)、まさにブーレーズが50年前に

tell me…でBeethovenについて語った言葉

---将来の破壊の萌芽は、まさにここに見出される。

これを逆向きに、Boulez→Beethovenで語ってみようかと。

要するに、Boulezが形式を「破壊」し尽くしたところで、断片を広い集めて置いていくBeethoven…ということに。

でも、もうひとつここで言わなくてはいけないのは、Boulezの第2ソナタのコーダのこと。

彼もここで、すでに断片を広い集めるpppの作業をしていて、最後は、なぜかB-A-C-H音型の逆向きの4音で終始する。

この静かな閉じていくかのような、新たに開いていくかのような、コーダの形は、第2ソナタの第2楽章にも見られることで、ここでは冒頭の展開が、そっくり「シンメトリー」に立ち返る!!

Beethoven:バガテルop.126の終曲6曲目の方では、

---本体のアンダンテの狂ったような「早回し」---野平一郎先生の輝く名言✨

は、同型で最初と最後に置かれる。シンメトリー!

これらも、一種の「完結」に対して抗う、この2人の"B"、BeethovenとBoulezのDNAに刻み込まれた (ある種後天的に?) シンメトリーという「均整」の感覚をどこか、追いやることができない、ひとつの「残骸 or 痕跡」、と見ることもできるのではないかと。

第2ソナタで、あれだけ荒れ狂って、音型を破壊し尽くしたあとに、静かに瓦礫を広い集めて、また星座を布置しようとするコーダの趣。

まるで、クレーの

『新しい天使』1920年の絵に、ベンヤミン(アドルノはその後継者と言っても…)が感じたことに重なる。

・・・我々の目の前の出来事の連鎖、天使はそこに「破局」だけを見るのだ。

その「破局」はひっきりなしに瓦礫のうえに瓦礫を積み重ねて、この天使の足元に投げつける・・・

なろうことなら、そこにとどまり、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを繋ぎ合わせたいのだろう…

でも、楽園からの嵐のあまりの激しさに、翼を閉じられない天使😥

『ベンヤミン・コレクション①』より要約~

ベンヤミンの素敵な言葉✨

じーんと来ています。。。

ベートーヴェンのバガテルは、

今や、

私にとっての『新しい天使』です💗

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