top of page
yumiko segawa

別様の作動2 in 1 in 2 ★その2★福士則夫先生『花降る森』



別様の作動2 in 1 in 2 ★その2★


鳥海山以来、「もどき」に「だまし」がちょっと頭に居座っている…


そんな時、目の前にこのポスター❗️🤣


「敢えて」こうしなければいけなかった理由をしばし考えてしまいました😅

これでも誰しもわかってしまうのか、逆にこうした方がわかるのか。


点描画、モザイク、うごき…


ゲルハルト・リヒターのあの焦点が敢えてぼやかされた「フォト・ペインティング」を想起しそうになるけれど、それはいかん!🫣あんな悲惨なストーリーをここに持ち込んでは。


ここには、コミカルな要素と、密かな企みを感じる…🤭


もしくは、クレーの『子どもの胸像』とも。

イコンをパロディーとして描かれた性別不明の幼子。


そうか💡

80歳にして、いよいよ窓の向こう側の、この世では把握できない「匿名性」に至られたと❗️❓


---※本公演は、作曲家:池辺晋一郎先生の80歳をお祝いする東京シンフォニエッタの第53回定期演奏会でした---


と妄想を膨らませて入ったのですが、どうやら、ご本人ご自身が「幻」のようなのです 笑🫧


「そんなはずではなかった…」

「80歳まで生きる予定はなかった…」


年の感じ方には人それぞれあるようです。

ここでクスッと笑ってもいけない。ご本人には小学校に上がられる前に辛い「タイガーホース🐯🐅」(トラウマ)があったようです。←これが本日聞いた唯一の駄洒落でした😆✨


しかし実は、今年80歳をお迎えになったのは、このコンサートにもうひとりいらっしゃいました。

いえいえ、違いました。同級生といっても、二歳年下でいらっしゃる(/・ω・)/


福士則夫先生🤗✨


「幻」と言えば…🫧

音楽でより幻を聴かせてくださったのは…福士先生であったように私には思えました。神秘性、底のまた底と、前景と後景の奥行きと。福士先生の音楽は、なんだか「みんなご一緒に」と、ぴったり合わないんだ。


だけれど、昨日のおふたりは大学時代の同級生、盟友でいらっしゃるからか、世代という時代の空気というか、「掴み取りたい」方向性が同じだということはすごく伝わってくる。でも、ポジとネガに聞こえた…


そして三善晃さんが最後に来たら、こういう精神の消尽の仕方が、また違う次元で追究されていることを体と心で感じた🌪️


昨日のコンサートは、この3人の作品のみ。

年代の異なる池辺作品を挟む形で、福士作品と三善作品が置かれた。


森敦の『鳥海山』によれば、よく草木の名につけられて言うことらしいけれど、「もどき」というのは、種はおなじ種でもどこかが違っているもの。「だまし」は種も何も違いながらどこか似ているもののことを言うんだそうです。


3人の作曲家がいらっしゃれば「もどき」か「だまし」で植物🪴みたいに、選り分けながら聴いていくのが面白い。


ジメジメはよくない、

ウジウジもよくない、


だけど、まったく違う意味で福士先生の音楽は「多湿」の空気感がよく合う。この梅雨の時期に先生の「花降る森」🌳を聴かせて頂けたことは好機でした✨


実は、音が鳴った瞬間に、森というより実ははじめ、「海」の中を錯覚してしまいました!海の中から、鯨の鳴き声とか、海底からゴーと地響きが聴こえてきたり、魚の群れの音🐟だったり…

すごく水分量が多い音質というのが、個人的な福士作品の感想だったけれど、

「森という地上」も「空気」も「空」も「海中」も境目なく音を感じられたらそれはすごく良いことなのではないかと✨そういう音楽は。


星座を表す「コンステレーション」は、何も上空のことだけでなくて、大洋のリズムである「島-群島-」をも同時に暗示する。そもそも「コンステレーション」の言葉自体が今や領域を越えて使われている💫


「下地に時間をかける」


先生のCDのジャケット表・裏にもなっている有元利夫さんの作品『雨降る森』は、この作品の創作の途中でふと東京駅で出会った作品だそうです。


ずいぶん下絵に時間をかける画家、と。

パウル・クレーもそうだ。新聞紙を敷くか布地を敷くか。それに赤外線を後から当てると見えなかった「女性像」が浮かび上がってきたりする。

魔法陣を敷いたり…


こちらが『花降る森』なら、クレーの『花ひらく木をめぐる抽象』もちょこんとここに置いてみたい。

私の中ではなんだかしっくりくるから💡


先生も、この有元さんとの出会いから、より「下地」制作に余念がないようです。


微分、積分、そんな見えない積み重ねが、室内オーケストラにアウラを与える。だから、福士作品からはいつも舞台上の演奏者の数よりも多くを錯覚するのです。


そして、


——憂いを、残す。


先生はふと言いました。芸大作曲家の同期で18人居たのが今は、現役が3人になってしまった、と。

それは音楽家の人数ではなく、「現代音楽」の人数。もちろん、その中に池辺先生と福士先生が含まれる。


昨日の3人の作曲家は共通して何らかの「憂い」を表現していました。


あっけらかんとした乾ききった心底「明るい音」を持たないのが福士先生の特徴かもしれない。個人的心情とは別に。


曲の途中でなぜか私が心惹かれた箇所は、

トロンボーンとコントラバスで奏でた低音の重い音、そこに、まだ「底の底」を見せてくれたのが、更にピアノの最低音の「ズン!」を聴かせてくれたところ。


ピアノの使い方に、どうしても注目してしまう。

今度の10/14@トッパンホールリサイタルでも『とぎれた記憶』を再演させていただきます。

この曲については、またの機会に。


森か、海中か、区別なく泳ぐように奏でたい音色です✨

 

---------------------------------------------

『ブーレーズ:第2ソナタ』別様の作動2 in 1 in 2

【その1】

瀬川裕美子ピアノリサイタルvol.9

10月14日(土)16時開演 トッパンホール

「双生の場所」:B×B…地続きの間隙・モザイク・透過」


・クルターク:8つのピアノ小品 作品3 

・ベートーヴェン:ピアノソナタ第29番 変ロ長調 作品106「ハンマークラヴィーア」から第1.2楽章

・ブーレーズ:ピアノソナタ第2番から 第1楽章

・福士則夫:とぎれた記憶(2000)

・ブーレーズ:ピアノソナタ第2番 から 第3.4楽章

     ・・・


・ベートーヴェン:ピアノソナタ「ハンマークラヴィーア」から第3楽章

・ブクレシュリエフ:群島Ⅳ(1970)

・ブーレーズ:ピアノソナタ第2番 から第2楽章

・ベートーヴェン:ピアノソナタ「ハンマークラヴィーア」から第4楽章

——————————————————————

Comentários


bottom of page