なんとか言葉による「見えないものを見えるようにする」追体験作戦、ひとまず軟着陸にて無事終えることができました(^^)/
『パウル・クレー『造形思考』とJ.S.バッハの作品にみる多次元的接触の宇宙』@脳神経科学創成医療研究会
駆けつけてくださった皆様、本当にありがとうございました!!...
プロジェクターとの接続の不具合のこともあって、急遽ワイン会会場のリビングで講演をすることになり(^_^;)、結果的に窮屈ながらも和気あいあいの雰囲気で、2時間弱に及んでしまった構成の甘さなど反省点は沢山頂きながらも、皆さんから随所でコメントが飛び交う現場となったことなど、本当に良かったなと✨この機会を頂けましたことに感謝申し上げます。
ピアノの実演なしの講演はどこまで皆さんとクレー発信の「見えないものを見えるようにする」過程と、見えないビジョンの実現のあり方みたいなことが共有できるのか不安もありました。それに、科学的見地から、主催者の桃井さんとは直前までずいぶんやりあっていた(*´∀`)実証しえない見えない領域への踏み込みは、どうも「観念的な」、古めかしいナニモノか、とアヤシマレル、、、苦笑) しかし、ある程度越えたビジョンのお話ができたので、科学の方とも共通の言語が見いだせた一面も。
「抽象化しようとする脳の働き」に興味がある桃井先生。 クレーも、自然から抽象するその行為の中に「造形思考」の本質がかくされていて、私も演奏する上で、イメージなるものがどう音に実現されるか、そういったことも今後言葉にできてくればいいし、そこは、やはり演奏そのものへ帰していかなければ!♪ヽ(´▽`)/
結構前、学生時代の「言葉で音楽を語る人は不幸な人だ」とある師匠の言葉がずっと頭から離れなかった・・・
それが、昨日のことといったら!(笑)
でも、結局いつもリサイタルでも説明・解説ではない言葉の力も総動員して挑んできたつもりで、実は昨日は自分自身の砦であ
る「音の実現」のない現場での、絶好の言葉による挑戦の場であったとも言える。
見えないもの、「創造の起こり」からクレーの追体験による動きの生成プロジェクトから、バッハの『マタイ受難曲』の中での受難イメージの実現の仕方などを覗きみることに専念できたのは、ある意味リサイタルではできないことができたような感覚です!
そんなところで、今朝の読売新聞「本よみうり堂--作曲家:望月京さんの『空想書店』」の記事(○_○)!!
望月京さんの「見えないもの、実証し得ないもの」への真摯な考察・眼差しが綴られていました!
霊感とは??
---「言葉での補足は音楽的表現力の不足」と教えられてきたが、……言葉というツールで論理的に考えることは創作意図をより明確にする。それを感覚と理論で作品化する集中と労苦の果てに、初めて自分の想像や感覚を超える未知の何かに出会える…」
望月さんが『空想書店』のテーマ掲げる、「二元論の彼方の豊穣」。白と黒の混合から灰色以上、灰色以外のなにかがもたらされる。
それは、クレーがいう「灰色の点」にもつながる!
「灰色の点」とは、白でも黒でもある、多次元の間に位置するものとして名付けられたもの。
二元論を越えて!というのは、クレーが雅歌の挿し絵に、そっと描きこんだあの中性的植物モチーフにも現れている。
ブーレーズも再三引用する「中心かつ不在」。
---多様な周囲を統合吸収せず、その均衡によって安定を保つもの。
昨日は、推理小説の元祖エドガー・アラン・ポーにも触れたけれど、やはりそこでも「論理」と「ひらめき」が対立せずに共存することで垣間見える「何か」に迫ってみた。
ブーレーズがバッハの音楽について言ったこの言葉も本当に印象的。
---「必然性の明らかにされた作品は、その成果によるのと同じ位、そこに含まれている偶発事によって豊かなのだと思う」
昨日は、沢山の“あいだ”に迫った会だった。
具象-抽象 男-女 イエス-信者 論理-ひらめき 善-悪 聖-俗 拡散-収縮 実証的-思弁的 アクティブ-パッシヴ 遠心力-求心力 生-死…
また、ここから何かが生まれることを願って。
今回のミッションは、また1か月後7/20に引き継がれる。i教授が30年講師を務められた会@立川 にて、追悼ミッション、続。