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近藤譲先生の『オリエント・オリエンテーション』 4・23@公園通りクラシックス ギタピアニズム公演♪

yumiko segawa


「返し縫いをたくさんしても、まだ、ほどけそうです‥」


それは、この作品を聴いた時の感想に近いかもしれない🤔だけれど、演奏者がこの域ではまだまだぜんぜんダメなのです😂


訓練によって身につく「記憶」はうっすら。あとは常に厳密にお互い歩むだけ。手を繋いでゆっくり歩ければ良いのだけれど😆「溶け合う」とか「一方が一方を包摂する」とかあり得ない、ひたすら「自足」の音楽な故に、近い・同質であるが故に、隔てられたふたり。


中でも、近藤譲先生の『オリエント・オリエンテーション』に力を入れている「ノリス」との特訓第2ラウンド後記・備忘録をこちらに📝


近藤譲作品、何を選曲致しましょうか❔

ギタピアニズムとしては


・デュオ (harp & guitar)

・秋に  (箏 & 十七絃)

・WALK (fl. & pf )

・水彩  (percussion & pf)


が当初、候補に上がっておりました。『水彩』の色付けという感覚は方向性がまったく違うにしても、音高の違いはあれ、外観はリズムの上での「ユニゾン合奏」というデュオのかたちが並びました。


やはり『WALK 』はいくら何でもフルートすぎる!?と思われました。今回は、中でもシンプルな最も古い線の音楽、「不特定の同種の2旋律楽器のための」『オリエント・オリエンテーション』を。


ズレると紀雄さんの「警策」(座禅中、こちらの心が乱れたことを察知したときに僧侶から飛んでくる、アレです😂)が飛んでくる!!🧘🏻💨‥というのは、冗談にしても、とにかくこれだけ厳しいのに、「規定」されない、押し付けられない、突き放されかた💨


私の手元には、あまりにも違う2枚のCDの、2種類の『オリエント・オリエンテーション』がある。


・篠崎史子さんのハープの1人多重録音。

1974年録音 『線の音楽』より。


・2人のフルート。西沢幸彦さんと木ノ脇道元さん。2005年録音 『オリエント・オリエンテーション』より。


ここで面白いのは、30年の開きのある2つの録音で、はじめ「不特定の同種2楽器の為の」の指示があったものが、2005年のフルート版では「不特定の同種2“旋律”楽器の為の」

と密かに、「旋律楽器」と追記されていること😁

—近藤譲の修正🧐


本当に、同じ曲でここまで違うかってほど違うのですが、1974年には「アタックのずれ」が強調されて、絶対に撥弦楽器じゃなくては!って誰にも思わせておいて、2005年のフルート2本では打って変わって、音の伸びの中に「重ね合わせ」が横の線として浮き立つものに。


あともう一つ聴きたいのは、「ノリス」と山田岳さんのギターによるオリエント。


そして、今回のギタピアニズムでは、どちらかというと、音の伸びを意識した「ユニゾン合奏」を試みる。ノリスはエレキギター、私はピアノでペダルも少し踏んだり踏まなかったり。


エレキギターとピアノは、ここでは同種の2つの旋律楽器になる✨


ヘテロフォニックな書き方をされているが故に、「オリエント」に「オリエンテーション」の原反復されてしまっては誰もが「東洋への方向性」を思ってしまう。

それでも、そんな意味づけは「単なる偶然」だと仰る近藤先生😂こうして、いつも先生の言説には上手く交わされてしまう。


確かに「形成」のような「目的」が定められずに「方角」だけ示されるのは、この曲の本質かもしれない。


そう、芸術的な形式ならどれでも「美的な形象」、なんらかの「痕跡」が作品の中に残されていること、あるいは残すことが暗黙の了解のように思われているところに、ここでは色彩の渇望🎨もなければ、形🍢も求めない。


本当にある種の「到達」に対して常に「遅延」を喰らわせられるような感じです。


「フォルム」だったり「群(グループ)」を形成する以前の、「無彩色」の奥行きの探求のような感じでしょうか?


何かが「露呈」することから悉く避けられているので「探求」そのものが作品という。


ふたりでヘテロフォニー。先生は「ユニゾン合奏」だ!とリーフレットでも語られるけれど、


一が一のまま自ずから多様化

自己差異化

自己を未知のものとして新たに産出する自己分裂、炸裂‥

そして、また自己収束へ。


そんな神学的なイメージすら抱かせる。不思議な。先生はきっと意図せずに。でもこんな「神秘体験」が浮かび上がってくる。

これって、「秘密の伝承」かしら?🍀


そんなことは、「単なる偶然であって‥」とまた、近藤先生にはつっこまれそうですね😅


ヘテロフォニーってきくと匂い立つ甘さすらも時に想起されるけど、奏者がする作業は至って、割と「角ばって」逃げ場のないものです。


それでいて、結構結果は地味にささやかに爽快さがあり、「まあまあ」「ちょこっと」、美しい😂


上記の「角ばって」というのは、ヘテロフォニックな、「ノリス」の線とのズレをこちらが奏する時、何というかある部屋の可動空間を想起もさせるから。


——「遠近法の投影図」とでもいうような発想が、3次元の近藤譲の「空間性・時間性」に入り込んでいるのではないか?🤔


近藤先生の「単純」に見せかけてスタートした線の旅は、時折、「複雑さ」を露わにするのだけれど、その時、ひとつの線の中に垣間見える「構造」の中では、浮遊感とは違う、あまりに完璧さのようなものを感じるので、自分の立ち位置をなぜか把握できる、調整された正確さを持って歩める気がするのです🐾


自分の立つ位置が変わるというか、眼の高さ、水平線との関係の変化が、ここでの副旋律の「影」として、現れているような。


と、そんな錯覚を覚えたりしています。


ということで、色んな生まれ出る「妄想」ともお付き合いしながら、ノリス先生とのデュオを楽しんでおります)^o^(


このままノリスとすごくよい練習を重ねたら、見たことのないどんな景色が見えてくるのか・・・💡✨


そのほか、


・ウェーベルンの「ヴァイオリンとピアノのための4つの小品op.7」


・松平頼則「ギターとチェンバロのための3つの小品」


など、難関はまだまだありますが、

いよいよ紀雄さんの🇪🇸からのお土産、

Jose Manuel Lopez Lopezの「東京の風」新バージョンも着々と届き、始動です〜!


第3ラウンドは如何に!?╰(*´︶`*)╯

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