はじめての桐朋・宗次ホール。
木の良い香り、音の根っこの厳しさそのままに温かく広がる良い響き🌳🌿
このホール、COCO壱創業者さんの「宗次」さんと知って、腹ペコ帰り道には仙川のCoCo壱に初挑戦感謝参り🍛の予感だったけれど、この気持ち、正直カレー味ではないのです‥‥ʅ(◞‿◟)ʃ
今日の素晴らしい特別な演奏会は、福士則夫先生からのお便りなくしてどうやって知り得たでしょう✨
聴きたかった皆さん、ごめんなさい。
福士則夫先生の『SILICA』『PARATAXIS』『CALLING』『春霖』。
若い桐朋の学生さん達の演奏も秀逸で、私すっかり堪能して、もう1人の「ノリオgt.」さんと感動しながら帰って参りました🥹
今は、各音大で年度末の試験シーズン。思わぬところで若い皆さんのエネルギー放射を浴びることができます✨その審査の先生も聴き手も、外部から招かれていて、よりオープンな場になっていますね ♫
以前、福士先生の2019年の個展をコンクリート打放しの東京文化会館で拝聴したときには実はまだ理解が出来なかったことが、この「木」のホールでは理解できたのです
╰(*´︶`*)╯
だって宗次ホールで幸せの湿り気の森の音響の中を歩いてきたのですもの。『春霖』の演奏のあと、外に出てみるとしとしとと雨が降っていました。
空間を意識する作風は、こうやって「舞台」そのものを拡張してしまうものなのでしょうか‥‥🫠
今日の題目は選抜された桐朋の与田和也さんと神戸夏妃さんの作曲ワークショップに引き続いての福士先生の演奏会。
おっかなく縛く先生は、かっこいい。
だけどきちんと学生さんの良いところを「素晴らしい」と素直に褒める先生も、もっとかっこいい😊
昨日の先生は、後者です。
先生が学生に与えられた課題は二つ。
I.音楽に感情は必要か?ならどう結びつける?
II.数について。
それをご自分にも当てはめて話してくださいました。昨年夏、門天ホールでの「メシアン」演奏会でも、終演後に池原舞さんが、「福士作品から、最もメシアンに近いものを感じた」とおっしゃっていらしてのを思い出す🤔
(神学的な意味も含め)「永遠」が叶わないこの世で、「永遠」を感じさせるような「時間」を感じさせたい、そんなメシアンの想いを、飄々とした姿勢で「持続」させていらっしゃるのが、福士先生であることを改めて昨日感じました。
先生は「霧の中で」、また「行き当たりばったり」なんてお言葉で、ご自身の作曲上の「持続」のシステムを語られるけれど、それは、魔法陣にこだわりつつ、時にそこから解放されていく、または助詞も助動詞も存在しない単語の集積からなる並列的な破格構文から立ち上るものであったりされる🧚
コローが24歳のルドンにアドバイスした有名な言葉
---不確実なもののかたわらに、確実なものを置きたまえ---
は、未だに福士先生にも響いていらっしゃるとのこと。前田富士男先生も言及されたセザンヌ『川の辺りのカントリーハウス』にも通じる💡
福士作品は、CDで聴くより断然目で見てその場に居合わせる方が楽しみが増すもの✨
クラリネットとコントラバスのたった2人の協奏『PARATAXIS』がオペラの一場面のように見えた。やっぱり「ペレアスとメリザンド」の湿った地下や森を彷徨う二人が私には目に浮かぶようにぴったりくる。
それに、『ピエロリュネール』を思わせる編成の『春霖』は、もうここでは充分な大オーケストラ。
あらゆる場面で、音が「立つ」ことが求められる。
『CALLING』の会場中に離れた弦楽四重奏の4人の距離は、実際の10メートルより遥か遠くを感じさせるもの。コンタクトが取れる、密に連携できる、正確に演奏したい欲求は、もどかしいほどに福士先生の手の中で遠ざけられる。
その場での呼応のシステムなしには、弾いている「主体」を実感できない作品。それは聴き手にとっても、そう💡
瑞々しさと、メカニックな対話をどこでも全く違う形で体験できる。精緻で相当に時間がかけられた作品群‥‥改めて感じ入っていました。
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