今日は門天に「福」来たるヽ(・∀・)ノ
昨日は国立音大で福士先生の打楽器作品についての講演を拝聴、今日も門天でリハーサル(夏田先生が写真を撮ってくださいました!)。2日連続で「福士則夫🕺✨」でしたので、福士先生について書きたくなっております😊
アロハシャツ🏝️に麦わら帽子と私が公言し過ぎたたためか、先生はどちらも完璧にお外しでご来場くださいました!
青い💙福士先生
そう、先生は「水」!と言い切りたいほど、瑞々しい、また湿度が高いどころではなくて、水分量が多い…打楽器が『ground』なら、ピアノ曲では「水の国」とでも。
いつも飄々とした先生でいらっしゃいますが、内実、艶かしくて…崇高さと恐しさが錯綜します✨
もちろん、作品のお話です。
先生は私が弾き終わると、ジェントルマンの先生でいらっしゃるので、誉めてくださり、そしておっしゃいました。
「瀬川さんは右手が強いんですね!」
その先生の一言に、ピアノ弾きなら、暗黙のうちにわかるのです。
これは「左手注意すべし」です🙋
まずここには、コラールの感じかたが起因していました。
この作品、バッハのマタイ受難曲の中心素材、H.L.ハスラーの受難コラール「血潮のしたたる主の御頭」から、前半の冒頭3音①、そしてコーダに後半2音②の引用がそっと忍ばせられています。
この旋律、誰が聴いてもわかるが故に、コラールの和音の無意識な感じかたが問題になる。
コラールは「ブドウの房」のように…近藤譲先生の『高窓』はその連続。和音をすべて、ソプラノから垂れ下がるように感じて和音体を演奏する。
でも、福士先生はちがう。
左手にも、ソプラノ同様にテヌートが付いている!
コラールは外郭から崩れていく…
前半部というのは、この引用和音①が登場するまで、「持続」が支配する。でもそのあとは、「溶解、変容」していくから、こういうことになっているんだ💡
と、お陰様で今日気がついたのです!
というように、先生は的確にたったひとことで、この曲の構造を把握させてしまうのです。
さて、先生の音楽は水、水、みず…、
という所に戻ってくる。
“瑞々しい”を通り越して、高湿どころではない水中劇のように、私には感じられます。
ペダルの使い方は、先生のespress.の表現と相まって、なかなかに艶かしい状況を醸し出します。「色気」も狂気までくれば、得意妄想領域です👍✨
途中での舞台の急変ぶりには、思わず
…地下洞に指輪を探しに行ったペレアスとメリザンドを濁流が突然飲み込み二人は水のなかへ…”
が浮かんだものです。
(…ゴローは「地上」、愛し合う二人は「水の中」という、こんな1対2のdislocated劇があったほうがその後の悲惨なゴローの嫉妬劇を見なくてすむかしら…、そう、愛し合う2人は早々と天に昇るのです!あのコラールの声は、2人の天からの声・・・👻
という、ワルい妄想修正もあり得そうなくらい福士先生の曲、怖いです😆)
と、今日はもっとも激しい和音連打部分に勝手な劇的な解釈を密かに忍ばせてみましたが、そこはもちろんアウトでした!😹
「感情はいれないでください」
メカニックに。メカニックに。
何しろ、この曲は“dislocated”。位置を変える、狂わせる、転移する。
それくらい、ファンタジックなdislocated memory (とぎれた記憶)です✨
この時点で、私も充分dislocatedのとりこになってはいないだろうか?
何事も影響を受けやすい質ですが、作曲家の方との間近のコミュニケーションはいつも面白いです!
福士先生はとっても優しい方です。
だから、私がこんなことを書いても、きっと許してくださるでしょう…^ ^
どんな演奏になるかは、皆様、生かオンラインでお会いしましょうヽ(・∀・)ノ
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