• yumiko segawa

川端康成『掌の小説』--私の葛藤日記。



だいぶ嫌悪感が抜けてきた…


いや、もちろん、それは作曲家の小内将人さんにでもない、朗読のたにかずこさんにでもない、チェロの北嶋愛季さんへにでもない😹


皆さん素敵なひと💛私は今日やっと皆さんのお陰様で奇妙な皮が剥けた。お陰で体の表面はサムいくらいっ💨心は正常な体温が戻ってきた…


嫌悪感ってそう、もちろん、川端康成さまへの…😹『掌の小説』。


演奏できる心境って、ある種のテキストへの「共感」であり「信」。だから、すごく難しかった…(><)


今日はユーモアを引き出せた!私の中の大きな一歩です🐾皆さん、ありがとう✨


ユーモアは、距離がないと生まれないから。何しろ、この小説は、「距離」がないのですから…(;゜゜)


というのも…この小説は、 どのページも、はじめから作家の実体験談と知らずして「川端」自身のことが内面までも書いてあるのではないかという気持ち悪さが、ひしひしと伝わってくる。。。


圧倒的な「女」観察日記あり、狂気あり。「女」という対象を崇めているのか、嫉妬すらしているのか、裏切っているのか裏切られているのか、縛っているのか縛られているのか…その他諸々。。

どこにも「信頼」のおける「女」「男」etc..が登場しない。「信」が、どこにもない、自滅を自ら喜んでいるようで、作家自身が恐ろしくなります😹


なかなかぞっとします。


これは紛れもない

川端自身の救いようのない「自意識」に他ならないのでは…??😱


これを「共意識」に滑り込ませようとする嫌らしさが川端小説の猛烈な味わいでしょうか😹


---不気味の谷へ


その点、小内さんはこの『掌の小説』を「ある心象風景を切り取ったものだから」と淡々としていらっしゃる。


「ユーモア」が、小内さんの音楽化によって立ち上るっていうのは、よっぽどの長年の文学-音楽にかかわってこられた鍛練の賜物だと感じているのです🤔


上手(うわて)でいらっしゃる!!


とにかく上記の私の葛藤のように「対象」を相手にしているようでは「音楽」にはならないということ。

私、『掌の小説』を心で突っ込みながら“気持ちの悪い”部分に付箋を張りつつ、ちょっとワルい読み方をしていましたもの…😹


この奇妙な超短編が122編の川端の心の自伝的妄想「詩」「標本」であるこの『掌の小説』、夏から、何度もここから立ち去ろう😹💨と思いつつも、全部読んでしまった。


今回音になるのはそのうちの5編。

「化粧」「死顔の出来事」「写真」「金雀鳥」「金銭の道」


しかし、全部通して読むと、また小内さんの音楽化とたにさんの温かい発話力と、北嶋さんの熱の音と合わせてくると、また違うものに。


一読者としての葛藤劇は思わぬ方向へ…✈️


大半は川端が20歳代に書いたもののようだけれど、これはその後40年後まで書かれたものまで含まれる。


途中で、ふとあの嫌らしい作為的な身ぶりから解き放たれた「自然体」の川端に出会えたときには、純粋にこれまでの私のなかに生まれた「嫌悪感」にごめんなさいを言いたくなる感覚が生まれた…💡


決定的に欠乏していると思われた

「愛」と「ユーモア」が最後の方、自然に感じるようになってきて、これまでの「欲望」で圧迫されてきたもの、作為がなくなって、、、


しかし未だ絶大なシンパシーを抱く段階にはありません。激しく抵抗しています😹 (すっきりしたら終わり⚠️)


----小説っていうのは、どうしたって読み手に降りかかってくるものだから…


とにかく、9割型「醜さ」が差し迫った息苦しさを感じさせる、作家自らも後々に語るように、「自己嫌悪」を読み手にすら感じさせる奇妙な誘いに溢れているのですから。。


「卓球台」すら女に見立ててしまう、世紀の“女”観察眼👀…

私小説の形なので余計に距離がない…

こうして、作家が自らの内面までも「晒し者」にする神経がわからず😹


だからこそ、初め、私はこの小説には「愛」と「ユーモア」が決定的にないというか、退けてると感じたものです。


最後まで読みきると、

小内さんの音楽をすると、

それは変わる💨


どちらも、ある「距離」をとったときに自ずと生まれるものだから…💡


演奏する上での「距離感」は個々の作品、状況で微妙に異なるし、その「測り方」にかかってくるもの。

小説への「演奏」での参画のしかたを、まさに、今とらえようとしている🤔


-----川端はカフカにはなれない…!?

いや、そもそも「寓話」とも違う、気色ワルいリアルさが味。


川端タッチの笑えない不気味さは何って、一人称で語りだしたとき、めちゃくちゃ怖い…


笑えないのは、もうひたすら川端自身の体験すぎる距離のなさから。

これが、新感覚なのか??


「神の眼」が出てきたときは、一層怪しく、


しかし、「戦時」のワードが出てきたとき、それまでの作家の中で自ら「自滅」を楽しむかのような気持ちの悪い「欲望」が影を潜めて、温かさが「掌--てのひら---」に還ってきた感が!


「戦争」は小説家の内面までごっそり変えてしまうものらしい。実は、私の中では、川端にとっての「戦争」が心の浄化への切っ掛けに見えなくもない…


それが、前半最後の『金銭の道』ではじわじわ出てくる。


小内さんの引き出し方がまた心憎いんだ!


川端康成が音楽になる日

10/21(金) 《人間の裏側のはなし~川端と三島の場合~》

@バルトホール(府中)


作曲 小内将人

語り たにかずこ

チェロ 北嶋愛季

ピアノ瀬川裕美子



こんなことで、コンサートとも違う、語りと音楽』の会への誘いになっているだろうか?😹

でも、こうして正直に言う他ありません。

毎回、共演の皆さんに色んな違和感をぶつけています…🤺💨


こんな葛藤の中から生まれる発話と音楽をどうぞ、肝試しのようにぜひ聴きにいらしてくださいヽ(・∀・)ノ


出演者へのDMでもどうぞ!




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