★別様の作動 2 in 1 in 2 ★その11
〜シェーンベルクはたった3分で十分⁉︎〜
(なのに…周りくどく😅)
①あなた「しか」見えない(盲目)
②あなたの元で「は」うち解けられる(リルケ)
この2つは似ているようで大きな差があるなぁ🤔と。最近ひょんなことでこの2つの違いを自戒を込めて観察しています👀
でも②の「あなた」は、人間というよりある「事象」のことも言っているように感じ、繊細に、事を選んでいる印象を受けます。
リルケのこの詩でも、秘密の扉を開けたら広がる「場」の暗示がある…🚪✨
誰にでも、静かに打ち明けられる存在やスペースがあるはずだ…!
ブーレーズのシェーンベルクへの感じ方からは学ぶことが多いです。恐らくブーレーズのインタビューや著作の中でも数々見受けられる、シェーンベルクには限らない、様々なことに向けられる部分的な賛辞や批判からは、信頼の所在が人間に向けられていなくて、「冷たいロマン主義」を感じます。
そう、ブーレーズがシェーンベルクに心惹かれるのはある一時期だけ…
②「あなたの元では打ち解けられる」の態度で行こう!
「シェーンベルクは死んだ」の前、ブーレーズが感じた“輝くシェーンベルクの一時期・瞬間”にスポットを当てて、私は3つのピアノ曲op.11-3のみを今回1/27のプログラムで弾きます🙆♀️
この曲は色んな意味で、このリサイタル演目全体にも「何かを贈ってくれる」きっかけになる曲✨
それにしてもブーレーズの究極のバランス感覚とも言うべきものから、学ぶところは多いです。
ブーレーズが音楽家を志す時からの選択眼、所謂「あなたの元では打ち解けられる」的な、「限られたあなた」を局所的に発見していく、敏感な吸収の仕方、その身振りの一端を、op.11-3のみの抜粋という行為で今回リサイタルで体現してみました。
あらゆる方向への批判や肯定は、良い意味での「良識あるカウンター・アタック」が常に準備万端な身体能力のようなもの…。
これを、ブーレーズ特有の責任の取り方、という言い方もできるかもしれない🤔
今回の瀬川裕美子ピアノリサイタル-BOULEZ:第2ソナタ 別様の作動,2公演企画は、「他者性」に重きを置いたプログラム。
見えないけど🫥、明らかに背負っているであろうものを炙り出したい「第2ソナタの別様の作動」のドラマ。
なので、一番対極にあるのは「私しか見えない」、です😂
といって、本丸以外のことを語りすぎて「私すら見えない」にならないように😅
歩を一歩づつ…🐾
さて、ブーレーズは何人なのか??
パリのど真ん中にずっと生涯住み続けなかったこともあるかもしれないけれど、
「ドイツ音楽の中でも最もドイツ的な要素」と自らの音楽のあり方を語るブーレーズの譜面には、それに反して、圧倒的な「フランス語」の表記ぐ小刻みで神経質なほどいっぱい。
直観的で、誰よりも「短絡的」とも言えるほどの要素を多分に含み込んだ音楽✨
圧倒的な“固定”排除の移り気な進行…
特にこの第2ソナタの4楽章の冒頭の序奏に一番現れている👀
さて、フランス的側面について、私論を言うには忍びないのでブーレーズの言葉を引用すれば
---一般的に言って、むしろ明晰で、引き締まって、確立しやすい種類の形式
対して、ドイツ音楽の真髄を、
---堅固で最もよく確立され…
ともかく刈り込むことが難しいほどの茂みのような「継続」である
と言い、自身の音楽の本質とする。
ある意味ドイツ的なクレーに共感するところもフランス人らしくないのかもしれない。
そんなブーレーズにとって、
「私はフランス人です!」
と宣言めいたところがないのがブーレーズらしいところなのかなと感じています。
「あなたの元ではうち解けられる」そんな僅かな領域をフランスにもドイツにも、またガムランにもシェーンベルクにも、ポロックにも、ロックにも見出していった、ブーレーズのある意味普遍的なスマートさに、私自身興味を持ち続けています✨
それでも、ブーレーズ亡き今、彼があちこちで残した言葉をそのまま鵜呑みにすることもない…画家ポロックを「良い方向で奔放だと気付いたのはずっと後からに過ぎません」と。
初心貫徹のように頑なになることもない…
なのでシェーンベルクは避けてきたけれど、「op.11-3の元では打ち解けられる」そんなスタンスで今シェーンベルクに取り組んでいます🥹
さて、ブーレーズがシェーンベルクに心掻き立てられた時期は1907-8年から1920年と。要するにシェーンベルクが12音技法を始めた後から一気に熱が冷めた、というようなことを言及しています。
12音技法では絶対音高が重要視されるけれど、その辺り、ブーレーズは『システムと理念』の中で音型と音高について、アタマの柔らかい提案をしています🙆♀️
セリーの音列というより「主題系」、主題がウチに潜在的に持つであろう「主題のアウラ」、そんな主題の持つ領域的な広がりが曲の進展を形作るブーレーズの音楽は、確かに「絶対音高」のオリジナルにだけに縛られない。
私たちが受け止める「知覚」で最も大事なのは、原則以上に輪郭と方向。
極論、
「上行する短3度」に対して展開形の長6度よりも、知覚の面では同じく「上行する長3度」の方が近いのではないか? by Boulez
その意味で、op.11の頃「雑色・雑多性・非論理性」を追い求めていたシェーンベルクのなかでは、アウラ✨を表現するための「色彩言語」や「形態言語」が必要だった💡
敢えてこのシェーンベルクの3つのピアノ曲のうち、1.2番でなく、敢えて、半年の難産の末に出来上がったこのop.11-3番だけを取り上げるのはそれが詰まっているから♡
この曲は無主題的とも言われる掴めないものがありますが、その「形態言語」としては
a - gis -d
の冒頭の3音がやはり🔑なのでしょう。
先ほど書いた「極論」についてだけれど、このa-gis-dがいい感じで収縮して呼吸しているように見えるのです。
→a-dis-gis になったり、
→gis-d-aになったり…(画像)
ここに、原則の基本音程に縛られないおおらかさが横にも縦にも存在していて、錯乱具合がとても良い感じです!
でも、この曲は、a - gis -d
の3音の中に存在する増4度と完全4度に終始秩序づけられています。最後の
強烈なa-e-bの3連続の反復もしかり。
しかも左右でこの音型が上下シンメトリーで奏されるので、音型が曲の終わりへの静止の方向を指し示す。
だけど、この音程の縛りを、1.2番の終わりの和音に同じもの(1はa-d-gis、2はges-c-f)を発見してしまうと、やはり3つのピアノ曲の全体のセット感が否めません。
なんと、3番には、1番のテーマの回想と誰もがわかる場面が出てくるのですから…なんてノスタルジック!
しかし、それでも今回、私は3番のみを抜粋する✂️
連続性だとか統一感、回想といったものから今回は少し距離を置きたかったのです…
今回は、1.2番で「統一」の中でも、覗かせていた急な光などの錯乱の要素が全面に飛び出した、ピアノそのものを「錯乱の楽器」たらしめていたこの3番のみを演奏し、ブーレーズのソナタへの変革の意図に繋げてみる(!)
恐らくこういった「抜粋」の方法は、「編集」の絶大な効果としてある、そこに「亡きもの」を強調したり暗示、想うという日本の引き算の方法をないがしろにしているようなことなのでしょう。。
その意味では、現代音楽でもクラシックでも「そこに無いもの」を強調するために選曲・プログラムを組む人は殆どいないのでは?😂
そこに載せる曲が、そこでの全てと思ってる。
でも常に、選ばれなかった曲、脳裏にも上がらなかった曲すら考え合わせるべきかもしれない。
---別様の作動。
ブーレーズを取り上げるときに、もしかしたら「私」すら見えない、ことをしてきたかもしれない。
なぜかバッハやベートーヴェンがブーレーズと並んできたけれど、「ドビュッシー」が、一緒にプログラムに並んだことは一度も…ない🫥
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vol.10 【その2】 2024年 1月27日(土)
開演 16:00 開場 15:30 @ トッパンホール
植物的で不可思議な: to B 個体・ほころび・創発
・ルイ・クープラン:フローベルガー氏の模倣による前奏曲
・クセナキス:霧(ミスツ)
・バルトーク:戸外にて
・J.S.バッハ:イギリス組曲 第3番 ト短調 作品808
・シェーンベルク:3つのピアノ曲 作品11ー3
・・・
・星谷丈生:四季 -ピアノのための-(2016)
・ブーレーズ:ピアノソナタ第2番(1947-48)【全4楽章】
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セガウェイプロジェクト
トッパンホールチケットセンター
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