3/15東京オペラシティ文化財団
「B→C(バッハからコンテンポラリーへ)」から2ヶ月、公演評が各紙で掲載されました。
・こちらは、公演前のインタビュー記事です。タワーレコードのイントキシケイト3月号に掲載されたインタビュー記事です。文章は渡辺謙太郎さん。
ネットでもご覧になれます→ https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/31190
・音楽現代 6月号 文章は池上輝彦さん。池上さんは、2017年にも詳しくインタビュー記事を書いてくださり、ブーレーズの私の企画も見守ってくださった方です。
その記事はこちらに。
・音楽の友 5月号
執筆者は伊藤制子さんです。
実は、アンコール後に私がトークで少し冗談めいたことを申しましたことを「B→P」のプログラム全体の構成として誤解をお招きしてしまったようでした(^-^;
「B」は、頭文字のBとして、Bach,Bartok,Boulezを挙げた訳ですが、「P」は頭文字からは取っておりませんでした。
「P」というのは、本プログラムでの企み「B→P」の中では、progressやprojectionの意味を持たせた「P」でした。煩わしい設計図でしたね(/▽\)♪
アンコールでは不意に、「P」の頭文字のプーランクの「Ce deux petit visage」の歌曲を出してみました訳でしたが、そこでの「不意」を、「真面目に」受け取っていただいてしまったのでした(^-^;
しかしこのコンセプトに乗って、その場を楽しんで聴いていただけたようで嬉しかったです✨
そういえば、アンコールで思いきって弾き歌いを試みてみたのは2018年。
実はその3年前の2015年のゴルトベルク回でも、リハーサルまでグノーのアヴェマリアを歌う予定でしたが勇気も持てず、声も出ず、当日にとりやめにしたのでした。。その時は、ヴァイオリンの三浦彰宏先生に、オブリガート旋律を東京文化会館の上手裏で奏でていただきながらの、見えないグノー共演をしていただいきました♪それも緊張感ある素敵なイントロの思い出です。暗闇の中から、「どこからヴァイオリンの音色が聞こえてくるの?」という不思議な演出に2つ返事で乗ってくださった三浦先生(*^^*)
そうそう、2018年vol.6でシューマン「暁の歌」の1曲目のコラールに、ホリガーがヘルダーリンの詩をつけた合唱曲をひとり弾き歌い版にアレンジしたものを演奏したのが始まりでした。
それから、バッハのコラール「我らの苦しみの際にあるときBWV432」、ベートーヴェン「Ich liebe dich」と、この試みは何となく続いているわけですが、この度は、以前からプーランクの歌曲の中でも1分あまりの小さな曲ながら個人的に密かに愛着を持って歌っていた曲を選びました。こんな短い曲なのに心情的にも情景的にも、そして独特のプーランク和声の上質な移り変わりが深くドラマチックなのです。中程に、ハッと展開する「冬の終わりに」という素敵な場面があるのですが、その描き方はプーランクご自身もうまくいった!とお気に入りだったようです。
「冬の終わり」は、気づかないうちに、そっと、静かに訪れる…
ここで、あらゆる「冬の終わり」を3月の中程に皆様と共に…と願いを込めて歌ったはずでしたのに、あれからなんという寒さが立ち込めていることでしょう。
そして3ヶ月経って停戦する兆しも一向に見えていないなんて想像だにしませんでした…(;_;)こんな時代に、「勝つ」か「負ける」か、本気でそんな言葉が外交の場で飛び交っている。。
こんな時代に、というけれど、戦後77年間、平和と思い込んで過ごしてきた日本と言われているけれど、外側にも、そしてもしかして内側にも、本物の平和は根付いていなかったということが露呈されたようにも思えます。
かろうじてこれまで「停戦」していただけで、膿は出切っていなかったかのように。フェアな立場で本気で世界の「終戦」「解決」「平和」を考えて動いている人が、自らの利権で突き動かされる人々に、押し潰される、そんなことがあったとしたら、きっと永遠に終わりは見えないような気がします。
「終わり?」
人々のあいだに繰り返されてきた「Endless」に、ふとした瞬間、「Ende」が見えたとしたら、一体どんな終末が待っているのだろう??
恐れ?
それとも、
希望?
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