• yumiko segawa

両方で、とても「肯定的」なことが起こっている🤔@東京オペラシティ



造形の「貧しい!?」営み…


↘️


音楽の圧倒的な「豊かさ!?」…


の前に、少したじろいでおります(><)

素直に圧倒されているのです。


この差異について、どうにも言葉にしないと眠れそうにないので書いてみる…


両方で、とても「肯定的」なことが起こっている🤔

「貧しい」ことも、「豊か」なことも、決して否定することはないし、時にそれがお互いの、武器になっている。


@東京オペラシティ


今日は、3Fアートギャラリーにてライアン・ガンダー展「われらの時代のサイン」を観てから、佐藤眞管弦楽作品演奏会に足を運んだ🚶‍♀️


この “2つ” を繋ぐ作品が、実は、


「白髪一雄」


だったりするのではないか?と今ならそう思える🤔


「白髪一雄」さんの、ヴァイタルな身ぶりが剥き出しの足の裏の音楽、いや、作品。


実は今回、主である『ライアン・ガンダー展』の1つ上の階には、『ガンダーが選ぶ収蔵作品展』があり、ここでは、ガンダーが3Fでは叫びきれなかった(敢えて叫ばなかった)「直情的」な声も、聴こえるようです。


そう、この中に「白髪一雄」作品がものすごい存在感で展示されていたのです!


---ガンダーはこんな作品も選ぶんだ…


と思いながら、コンサートホールに向かい、おそらく、その直後に「白髪一雄」と同じ方向のパッションを浴びることになる😹🙌


そう、佐藤眞さんの音楽(!)


ガンダーとの落差は甚だしかった!


ガンダーは、物質間のかすかな変化を呼び込んで、その「貧しい」身ぶりのひとつひとつには、今の競争型、自己拡張型世界のあり方を、否定しすぎているようにも見えて、そこには「真剣な」皮肉が混じっているようにも見えた…◾▪️◽▪️◾◾⬛◾


でも、殻に閉じこもってるようにも見えて、ここにも世界への、その「力」は貧しいながらに、私たちひとりひとりへの「全力」の訴えがありました。


「全力」


これ、すごく大切。。


ガンダーの「全力」さを、ねずみさんのシーンを切り取ってお伝えしたかったのに、なぜか、佐藤眞さんのコンサート終わってみたら、フォルダから吹き飛ばされてなくなってた😹 (原因不明)


佐藤眞さんの音楽で、クラッシュを起こした!?のは、スマホの中身だけではなくて、もちろん、「私」自身も、だ!!


これは「久しぶりに」浴びた、「直情型」の音楽でした。。


普段、私はよっぽど静かな(閑かな)生活を送っているのか…

単純に、こんな「大きな」音を聴いたのも「久しぶり」で、


この感覚は…💡


初めてウィーンに行った時に、「シュテファン寺院どこだろう?🤔」って探したときに、目の前に現れたときの、、(!)


そこに、「大きい」の概念を越えた「大きさ」を目の前にした時の絶句した心境と、同じひれ伏しかたで。


----人間の、ひとつの「願望」の大きさ!?


所謂「大見得」というものは、最後に、いや、1曲の中で、「唯一」持ってくるものではなくて、今ワタシのなかに残る記憶では、


佐藤眞さんの音楽は、


「always大見得⚡」


であり、楽器ソロのほんの小さな身ぶりのなかにも、「大見得」がしっかり形作られていました◾▪️▪️⚡▪️


これが佐藤眞さんの「サイン」なのか。


いや、絶対そうだ!!😹


誰の作曲家のある表現の真似だなんて、そんなことは微塵も思わない。だって、ご本人は脇目も降らずに、「全力」だったから。


「圧倒的」という言葉は、色々な次元で言えるわけだけれど、


これまでの「音楽史」を見回して、


「荘厳」

「壮大」

「圧倒」


に値するありとあらゆる表現をここで吸収し尽くしたものを聴いた…というか🌋


これだけ書いたら、一体どれだけ暑苦しい、最後まで聴き手が「持たない」音楽だったんじゃないかって、思う人がいるからもしれない。


だけどそれは違って、、


「大きな音」「大きな身ぶり」が、目の前で「全力」でやり遂げられた時、

その時だけは違う❗


圧倒されました😂


しかもプログラムノートに、敢えてこの曲のインスピレーションの「対象」が書かれていないことが、また良かったです。


「対象なき、存在」について、あそこまで全力で突き抜けられたことに、「あっぱれ!」としか言い様のない感情です。


そして最後に、控えめに一言。


永野英樹さんのピアノコンチェルトのあとには、演目上に、ホール内に、ピアノの音が1音もあっては、いけない…


とても気の毒なことになる…😭🙌✨


永野さんの音質が、あの激しい最中にあっても冷静で、あまりにすべてがキラキラ輝いていたから…


永野英樹さんが常に、このような「直情な」音楽にパリで接してきたはずはなくて、でも、永野さんが18年ぶり!?に、再び演奏された、佐藤眞さんの超絶『ピアノ協奏曲』には、


細部に至るまでに、


最高の、


「圧倒的」要素


が、諸に鋭く詰まっていました✨


オケに埋もれないピアノ、とはこういうことか🤔


ただ、今の令和の時代にあって、これだけの「直情」な奔流🏞️の音楽を、神様すら受け取り「きれ」ない気もした。。


神様もこの世のこんな姿に対して、佐藤眞さん創作時の1980年代よりも、今はよっぽど、だいぶ「お疲れ」なのではないだろうか。。😔


---音楽は、何に問いかけ、どこから応答を聞き取るのか?


ヘルダーリン、あの詩人たちの時代とも、もはや今、「悲嘆」のレベルは比べられるはずもないのに…あまり事態は深刻でないようにも見える。。

今や、


ライアン・ガンダーのように、静かに貧しく、造形をして、ある「考え」だけはどうか閉じ籠ることなく、共有できる方法で、広がっていく「努力」以外、道はない…のかもしれない、



思ったり…🤔

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