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ピティナ公開録音コンサート『ドビュッシーからストラヴィンスキーへ ~大気と大地の踊り~』続・May走記🏃‍♀️

yumiko segawa


続・May走記🏃‍♀️

ひとまず、無事着💨

雨降りの中、ご足労お掛けした皆さまに感謝申し上げます!!

そして陰のMVP🏋️大変な譜めくりをしてくれたBuncademy仲間のHitomi Sakai酒井仁美ちゃん、そしてピティナスタッフの皆さま本当にありがとうございました✨


さてもうこれから、5月は春祭の季節ではなくなる…


梅雨祭!~ツユサイ☔~


お陰様で、スタインウェイを鳴らす最良の原木は水分をたっぷり吸収し、セコンドで踏ん張る私の歩みはよりエネルギーを要するものになりましたヽ(・∀・)ノ💨


この東音ホールは、音プレでのクレー序の口プレゼンをさせていただいた2017年以来の懐かしい場所で、 https://youtu.be/70jFZo0wlFk、ここの主役カワイピアノは、梅雨でも元気にキラキラ輝いていました

日本のピアノは、案外梅雨にも影響を受けない!?


とにかく、そんな2種類のキャラクターの違うピアノと、2種類の、恐らく色々な意味で違うのになぜか色々と一致する人間がデュオした結果が、昨日でした😹🙌✨

演奏者もそうだけれど、昨日は、なんといっても、Debussy と、Stravinskyの2人!✨

カプランくんもその間にあるけれど、彼の非同期的、共有の音響ラインを形作る独特のヘテロフォニックな紡ぎ作用はまた、この''違う''2人を繋ぐものでした!


とにかく、梅雨にもめげず、コロナにもめげず、ハルサイにもめげる兆しのないエネルギーの塊、青柳いづみこ先生と過ごした迷走期は、私に大きなものをもたらしました🙆


まず、コロナとの対峙の仕方が変わった!!😹笑


とても、このエネルギーには叶わない!

と思いつつも、このいづみこ太陽光に吸い寄せられて、私は、かえって日陰の音色をたくさん増やすことができました🙆


とにかく、久々にアンサンブルでじっくりとリハーサル時間をかけて取り組ませていただけたこと!


---瀬川は、ブリリアント好きが高じて、少し上がっていたね…タッチスピードが(><)


『劇団ひとり』も良いけれど、いい意味でダイレクトに気づかせてくれる存在がそばにいらっしゃるというのもいいもの✨


ホルンの音色。「そのもの」というより、こういうことができると、一段成熟できるというもの。


さて、いづみこさんのつくるものは、「人」への徹底した興味から生まれる独特の観察、独自のジャーナリズムのように思えていて、「小さな物語」を大切にするもの。

決して、大きな物語、ではない。でも、時々それに沿おうとしている。でもその中で、なるべく「顔が見える状況」というのが、前提にある🤔

そういう「人」物語。ジャーナリズム的なものが、意外にもピアノの「技術論」に直結するところが面白い。


そう、技術には、その「人」が見えるから・・・😹


他人のことを語りながら、あまり他人事に思えない文章が、ドビュッシーへ、高橋悠治さんへのいづみこ先生の接し方になっているように思える。


実は、瀬川が映画イラストレーターの叔父と共に登場する、いづみこ先生の昨年の新著『阿佐ヶ谷アタリでオオザケノンダ』も、あまりにも現地(阿佐ヶ谷)の文化と人物語が生き生きと細部にも渡っていて、驚かされる💨


恐らく、事務も好きな笑、「人」好きないづみこ先生だからこそなせる技に違いない。普通に過ごして、ただの事実集めでは集まらない、温かい小さな物語の集合体だ。


---背景が勝ちすぎると、音にならなくなる。

でも、それは一重に言い訳にすぎない。


劇団ひとりの私には、「人」に近づきすぎることに抵抗もあったけれど、ここまで「人」物語に徹底することには、ある意味 ''躊躇がいらない次元'' が存在するようにも思える!!


共に出す音に、いちいち、つまらない音が1つもない!

それが、単純にいづみこ先生との合わせでもずっと感じていたことだった。


だから春祭も、悠治さんとしばらく休戦協定を結ぼうが、私とも、そして今後またもっと若い気鋭のピアニストと組もうが、いづみこ先生はこれから面白いことをいくらでも引き出されることでしょう😤


音色も、「人」物語から、生まれる。


私からも、たくさん引き出していただいた。そして、それをいづみこさんは見て楽しんでもいらした😁


---時に辛辣にも、素直に、アバク!!😎


そこで、ふと、


芸術は人。

技術は心。


これは、とある師匠が10年前にくれた言葉。時折、ふっと降りてくる。


なかなか、いづみこ先生といると考えさせられることも多いのだ。


これに対して、


こちらはいづみこ先生の嫌悪する😹ブーレーズのストラヴィンスキーへの「人間論」ならぬ、徹底した「作品解剖」での暴きからのアプローチ!


今回、一点見つけてしまった蟻の一穴ストーリーを1つご紹介したい🙋


なんといっても、今回はストラヴィンスキー自身の2台ピアノ編曲に1箇所、計画的犯行(反抗)とも言える、練習番号106と107の2小節目頭のプリモ、108の3小節目の頭のプリモでの''尻尾装飾音''追加を、いづみこ先生と結託していたしました!🙌


もちかけたのは、私だけれど😊


ストラヴィンスキーに、怒られるかな?


要は、ブーレーズも自分でも言うように、多少「独断的、誤解とすら思われかねない」リズム細胞分割法からすれば、至極重要なモチーフの一部(ここでは、a.b.cの分割リズムモチーフのうち、aの存在を証明する縮約型)を、なんとストラヴィンスキー自身が、2台編曲の際に、あっさりカットしてしまっているのだ!!😲💨


---どうやらブーレーズが見えているようには、ストラヴィンスキーはリズムによる構成を把握していないらしい・・・?!!


別に、これがあるかないかで大した技術的な損傷も起こらないにもかかわらず!!

そう、いづみこ先生に、ここを提案すると、あっさりと綺麗にハメて弾かれたのだ✨むしろ、こちらのほうが、しっくりくる!!👍✨


だから、ここはこのたび、

小さなこととはいえ、ブーレーズのリズム細胞分割の定義に従わせていただきました!

どなたか気づかれたかなぁ?😹


ブーレーズが確かめたかった構想の知的把握が、ストラヴィンスキーの中で意識的になされたことなのか、無意識的になされたことなのかは、ある意味ブーレーズの問うところではなくて、


----「ただただ、結果を確認したかったから。」


何事も、アプリオリ。


「書く行為に先だって存在していたもの」これを求める行為が、ブーレーズにこれだけの算術的分析の猛進に至らせた、!?・・・


これは、ストラヴィンスキーがハーバード講義で語った、

「直観の無謬性」

に通じるものなのかなと。


---直感は無謬だからです。…


(※この際の、笠羽映子さんの訳の「直感」は、「直観」の方が正しいように思える💡)


ということで、実は逆説的に、この2人の根底での繋がりをとっても意識したくなった、今回のハルサイ体験となったのでした🤔


チャンチャン!

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