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パウル・クレー展ミュージアムコンサート@静岡市美術館

  • yumiko segawa
  • 6 日前
  • 読了時間: 3分

6/29  パウル・クレー展ミュージアムコンサート@静岡市美術館


「クレー」と「静岡」にたくさん励まされたいちにちでした🥹


静岡市美術館の学芸員のみなさま、本クレー展に関わられた関係者の皆様、そして熱心な静岡市民の皆様に支えられながら、トークに演奏の90分プロ、無事お届けすることができました🙇‍♀️🍀


クレーの絵と音楽が出会うところ

〜聴くこと・見ること・感じること〜


実は、昨日は「クレーの命日」だったそう🥹🪦

始まる前に学芸員の皆様がそっと教えてくださいました。最後のゴルトベルク変奏曲を弾きながら、クレーと共に、私にこのアリアの構造について謎の置き土産してくださった故礒山雅先生にも思いを馳せつつ、音楽を造形に変換していったはずのクレーの『造形思考』によって、全体を見守ってもらったような音楽プログラムのただなかにいました✨


終演後に声を掛けてくださったり、熱心に聴いてくださった市民の皆さまの雰囲気からも伝わって来るものがございました🫧これが、静岡音楽館AOIで長年芸術監督を務められていらした野平一郎先生の影響だったり、それを支えてこられた素晴らしい学芸員の皆さまの熱意の賜物によって活気づけられた文化的「静岡」という街全体の高揚感というものでしょうか🌇✨


私は今回の企画に携わるにあたって、これまでのように「クレー・リサイタル」を創造するために1つのクレー作品から音へ思考へ広がる過程とはまた違う道程を歩んでみたわけです🐾


それは、クレーという多様性に、また「孤独と連帯」という20世紀全体のあらゆるイズムの中で自由に息をして距離をとりつつも創作活動を展開したひとつのパウル・クレー展から、私なりに「クレーとは何者か?」の本質論に、音楽・演奏の面から真っ向勝負で取り掛かることでした👀✨


今の私のヴィヴィッドな感覚は、「演奏家クレー」の側面です。


楽譜には書かれない潜在的な“うごき”を取り出さそうとしたと思われるクレーの造形譜(バッハのBWV1019の4mov.の楽譜の造形芸術への変換の試み)、指揮者の身振りを探求した曲線のスケッチ、そうしたクレーのバウハウスの講義録から伝わってくることから、特に晩年の曲線の断片を巡る一連のクレーの多様性の世界について語ってみることは今回、演奏家としての私のチャレンジングなクレーへの問いかけでした🧐💭


楽譜から演奏への変換に携わっていることは、すなわち、楽譜の起源に遡ることにかかわることではないだろうか?🤔本来、楽譜から読みとるものこそ、記譜し得ない“うごき”を取り出すことにあって、つねにその「あいだ」に、片時も掴めないような「うごき」の場に身を置くことなんだ。

そのことを、人はいろんな言い方で、クレーの作品について例えを持ち出す…「夢」だったり「抽象と具象のあいだ」だったり、、。


しかしひとまずここは、自戒もこめて、ズバリ、


それこそ「演奏」そのものだ!


と言い当てて、先に進むことにしようとおもいます🐾


さて、昨日は以下のようなプログラムでした⤵️


<多様なるものの統一>

●W.A.モーツァルト:ロンド Kv.494


<民衆的な通俗音楽と村の民俗音楽~拍子構造の分析~>

⚫︎I.ストラヴィンスキー:タンゴ(1940)

⚫︎B.バルトーク:ミクロコスモス第6巻「6つのブルガリア舞曲」~151番(1938)


<シュルレアリスムとクレー)

⚫︎ブーランク/詩:P.エリュアール(弾き歌い)この優しい小さな顔(1939)


<間奏曲~スイス・ニーゼン山をめぐって>

●ブラームス:間奏曲 op.119-3


<新たな秩序を求めて>

⚫︎A.ウェーベルン:変奏曲 op.27(1936)


<コンステレーションとは?>

⚫︎ブーレーズ:ビアノソナタ第3番~コンステラシオン・ミロワール(1955-57)


<ポリフォニー音楽↔︎ポリフォニー絵画 ~楽譜↔︎演奏~>

●J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲BWV988~第1.3.4.5.19.12. 25.27. 28.29.30.Aria

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