• yumiko segawa

なんだロウ、ファーニホウ。。。        コンポージアム2022@東京オペラシティ



なんだロウ、

ファーニホウ、

さー行コウ!


となっても、


それが


「サーイコウ!(最高)」


と心から言えるほど、賢くもないですし強くもないですし😹


いま、ジブンが「判断」できる場所にたどり着けていないので、まず「待って」としか言いようがない状態…


でも、仮に「判断」できるのなら、自らの「範疇内」ということなのだからきっと悩みもしないのだろうなぁ🤔


「冷静に」溺れている、そんな不思議なかんじです。


「わからない」と思いながら「思考停止」になっている訳だけれど、逆にものすごく考え込んでしまってf(^^;


演奏を聴きながら、会場で酔ってしまった経験もあるけれど、翌日の今日は船酔い二日酔いの症状もないですし。。⛵


「サイアク」の4文字は、まず「カラダ」面からは消去された。


いつも思うのですが、オペラシティのコンサートホールって天井を見上げると巨大な船の底のようにも見える😳


昨日は開演前のベルの音が心なしか、より遠くから幻想的に響いてくるような気がしました。今から思うと、開演前に戻ることができないように、すでに出航していたということだろうか?😹


タケミツメモリアル…


もしかしたらこのホール、ここに集まった人たちはノアの箱船に乗って神の裁きから逃れられる「幸福な」人間という設定なのかしら。


だとしたら、昨日は一体どこ行きの船に乗ったのかな?😹


「暗い牢獄」行き?

(※作曲家ファーニホウさんは、度々ちょっと尋常ならざる絵画からのインスピレーションで作曲されるという。廃墟画家ピラネージの銅板画「牢獄」シリーズなど。)


でも今、カラダはとっても元気なので、ここではどうやら身体の拷問は受けていないようだ🤔


「カラダは元気で、アタマは辛い」


演奏会後の、こういう分離状態のもどかしさは初めてです!(><)


---これが狙いなのかな?


ひょっとしてファーニホウさんは、「視覚的な」人なのかな?と。lookでもなくあくまで、see?!


---ひたすら、「眺める」「描写する」


そういえば体験に導くほど、わたしたちを精神的にも肉体的にも巻き込みはしなかった。


案外、終始明るく、軽く、深刻にならない音楽。タイトルに敢えて「イタリア語」を使用する理由にもそのようなことが書いてあった。


例えばベルクのオペラにある、音楽自体が全霊で伝えてしまうあの慟哭、深刻さはまるでないので、あと腐れはない。


だから、今日は元気なのかな?🕺✨


でも、何らかの「決着」をも与えさせない残酷さが、アタマに残る。。。


---これが狙いなのかな?🤔


認識の「伝」をほとんど与えずに、

廃墟画家の描く世界を「視覚的に」とにかく、ひたすら目の前に押し広げて見せていただいた昨晩。


聴き手とのコミュニケーションとか認識の「伝」こそ、「喜び」だとすれば、その「喜び」はずっと棚上げされ続けました。


そのうちに、


➡️聴く上での「報酬」って一体なんだろう?のquestionに移っていきました。


たぶん、「喜び」の正体は、同型対応を発見したときの気持ちなのかなと。


「あなたにあるものが、私にもある💗」

という発見は、ある種照れ臭くて気持ち悪くもあるけれど😹、


「あちらにあるものが、こちらにもある」


この知の法則、 神様の言葉「旧/新約聖書」 にもあるもの、そして日常にもあるこの「実感」なしには、たぶんこれまでの私たちの認識の世界は、成り立っていないのではないだろうか。。


即物的な数式の定理にももちろん当てはまる、と、


私みたいなのが言ったところでなんの説得力もないので😹、アタマのよい人の文を引っ張ってくる⤵️


1980年代にベストセラーになったホフスタッター著『ゲーデル、エッシャー、バッハ』より。


---同型対応を認識することは、知識の重要な進歩…


そのような同型対応の認識こそ、人の心に意味を創造する、と主張したい…


そして、ここからが重要かもしれない⚠️


---比較的にいって、同型対応はいろいろな規模と形をもつものであるから、同型対応を本当に見つけたのかどうかはいつも全く明白とは限らない。

だから、「同型対応」には言葉がふつう持っている曖昧さのすべてが具わっているーこれはひとつの欠点であるが、また長所でもある。



要するにきっと、自らの意識下の範疇で、「認識の手がかりがどこにもない!😭」という理由で嘆いたところで、このファーニホウの音楽が良いか悪いかの判断は、「棚上げ」にするべきなのかもしれない…


という中途半端な頼りない答えが、とりあえず自分を納得させるに到りました😹


「判断できない」


というより、


「判断しない🙆」


こうやって、弱い自らの聴取体験大敗の記録に、お茶を濁して🍵、


「今日」を楽しむことにしよう❗


ファーニホウさんを神様だとも思わないし、「無理に」好きになろうとするとカラダに悪いかもしれない😹


でも決して、「悪い音楽」だとは、口が割けても言えない。


ただ、真剣に「音を出す」、「音楽を聴く」行為だけは、「信頼」なくしてできないもの💗


アンサンブル、モデルンのみなさま💗


「鰯の頭も信心から」

の慣用句は、揶揄的な意味だけが大概クローズアップされるけれど、私の大好きな言葉です。


「信じる」この気持ちだけは、音楽でわたしたちを繋ぐ唯一の「伝」かもしれない✨

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