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  • yumiko segawa

「アンサンブル・クラシカ」の11/2フーガ演奏会に刺激されて ~フーガについて~



秋の昼下がり、すこし「フーガ」を巡って書き綴ってみたくなりました🤫📝

その過程で、ベートーヴェンの大フーガで終わった先日10/14自らのリサイタルのprogramの「解題図」を制作🗺️



こうして今、私を突き動かしてくれたのは、11/2(木)19時開演の『アンサンブル・ニュークラシカ第4回リサイタル-Art of the Fugue-』@日本福音ルーテル東京教会 に先駆けて、おとといの晩に「ニュークラシカ」のメンバー4名による「フーガを探る」と題されたYouTube Liveを聴き入ったことに起因する!📻

私の就寝時間である21時開始という😂何とも真夜中に投げ交わされたゆるゆるトークの中にも、この4人の音楽家の皆さんがそれぞれ真剣に「フーガ」に取り組んでいらっしゃることを知りました⭐️


「ニュークラシカ」さんとは、今、私が最も注目している若手の作曲家のひとりである星谷丈生氏が、長年信頼を持って演奏活動を共にしているクラリネット(モダン楽器代表として)菊地秀夫さんと、サックスの坂口大介さん、チェロ(古楽)山本徹さんと結成された、まさに「新古典主義」とは別様の、「古楽からコンテンポラリー」まで取り上げる活動をされていらっしゃる演奏団体。


---「満たし」さえさすればすむ空の貝殻と受け取られるような、形式的な枠組みを含むものでは決してありえない」と、ブーレーズに言わしめるのは「ソナタ形式」🤫


しかしそれに対して「フーガ」とは、

---あるものは容れられるが、別のあるものは容れられない一種の水差し by Boulez---


だからこそ手強いんだ、フーガは!😤


では、


フーガって何モノ??


バッハこそ、最も「フーガ」らしくない「フーガ」を書いた作曲家ではないか?🤔

「フーガ解釈の宝庫=フーガの技法」には、カンタータ、受難曲の聖句に基づく「テキスト解釈」を越えた上での、それを含み込んだ上での、音のみである抽象の世界での「解釈」の深い現場✨


まず、今回のこの11/2公演で最も注目すべきは、バッハの『フーガの技法 BWV1080』が、続けてでなく、まさにアラド・クレメンティやラヴェル、更には同い年の作曲家である川上統さんと星谷丈生さんによる新作の「フーガ」を挟みながら

、まさに途切れ途切れの形で配置されていること💡


ここに、大いに共感した!

何故なら私もブーレーズ:第2ソナタとベートーヴェン:ハンマークラヴィーアの各4楽章形式のソナタを途切れ途切れに配置してクルターク、福士則夫、ブクレシュリエフを間に配置したからだ。


この方法には賛否両論あるが、ここでよい「弁明」を山本徹さんより聞いた👂✨

17.18世紀のコンサートでこそ、交響曲の楽章を連続してまとめて演奏する習慣はむしろ少なかったと🤔間に、オペラの間奏曲など、幕間的なものが挿入されていた構成は普通にあったのですね!

そして、交響曲の楽章連続型の演奏会こそ、むしろ現代的であると。。


さて、我々は何を「普通」の感覚として担保するべきか?むしろある「習慣」を自らのうちに「担保」する必要なんてあるのだろうか?


もっとも、このバッハの『フーガの技法』の成立を思えば、この曲集の出版に出版社が苦労しなければいけない理由がここにある💡バッハの書き直し、挿入、未完、時期の不確定さにより、順番は未だに世界のバッハ学者さんの論争の的である。


正解は…ない


ニュークラシカの皆さんは、こうした構成の中で、ことあるごとにバッハの『フーガの技法』へ、まるでロンド形式のように、新しい体験として立ち帰って来る様を希求している✨


もちろん、演奏会を楽しみにしている私もそうだ🕺💨


---「構造」は歪むために作られるのであり、身振りになるために作られるのです。

とは、ブーレーズの発言。


ひとつ、星谷さんの言葉に反論したいことがあった。

「ベートーヴェンの若書きのフーガは下手くそでたくさん先生に直された跡があるけれど、だんだん後期になるにつれ、フーガの技法は上手くなっていった」

というようなもの😂


果て、本当にそうだろうか?🤔


私は先日、ベートーヴェンのピアノによる「大フーガ」、ハンマークラヴィーアソナタop.106の4mov.を弾いたばかりだが、あのフーガは、フーガ技法としてお決まりの「変応」も途中から無視、横の線である対位法を成り立たせる縦の役割の「和声」のシステムをことごとく途中から無視しだしていく…


対位法の横糸と、和声の縦糸をバランス良く紡いでいくことがフーガの技法だとすれば、これは完全にフーガシステムの枠に収まりきれなかったどうしようもない、傷だらけの赤ペンだらけのフーガではないのか?😂


フーガ・システム>音程



フーガ・システム<音程


へと反逆していくベートーヴェンの力技は、ブーレーズを刺激した!

この「力技」=「構造を歪ませる力」💥

を導いたものこそ、

紛れもなく「フーガ」であり。。。


こうした対決の構図をどう聴きとることができるのか?

新旧のフーガづくしの11/2一夜には、まさに私はこの観点から真っ向から臨むのだ❗️\(^^)/


さて、ここからは余力のある方のみに向けて😊✨私の14日のプログラム趣旨の「弁明」です!(画像2枚目の解題図の解説です)


・・・・・・

ブーレーズがこの第2ソナタを創作時、常にピアノの上にベートーヴェンのこの「ハンマークラヴィーア」ソナタがあったという逸話があります。

この2つのソナタは、同じく4楽章形式であり、

ベートーヴェン:ハンマークラヴィーアソナタは

第1楽章---ソナタ形式

第2楽章---スケルツォ

第3楽章---緩徐楽章(変奏曲のような形式)

第4楽章---フーガ

ブーレーズ:第2ソナタは

第1楽章---ソナタ形式

第2楽章---緩徐楽章(変奏曲)

第3楽章---スケルツォ

第4楽章---フーガ

と、見てわかる通り、2.3楽章は逆になっていますが、この2曲の巨大ソナタの楽章の内容は極めて似ています。

ブーレーズが、ベートーヴェンの「ハンマークラヴィーアソナタ」を下地にして「第2ソナタ」を創作したという逸話がよくわかります。

そして、「1楽章ずつ」、ブーレーズはソナタという形式を解体していったと言っていますので、その意図を汲んで、本当に1楽章ずつ分けて、見える形でパーツごとに解体していく様を今回は皆様に露骨にお見せしました。

そんな方法は演奏会では前代未聞なので、違和感を感じる方がいらっしゃることは、もちろん覚悟のうえで、敢えてこの決断を致しました。

冒頭、ベートーヴェンの第1楽章の後にすぐブーレーズ第1楽章を演奏しましたのは、まさにその理由から。

ベートーヴェンの第2楽章スケルツォとブーレーズの第3楽章のスケルツォは、対置や対応を意識せずに、間奏的な遊び心として、ベートーヴェンは重要な第1楽章の末尾に、ブーレーズは重要な第4楽章の頭に挿入致しました。

ブーレーズの3.4楽章を前半の最後に置いたのには、

前半と後半、という2つの世界を作る私の意識によるものからで、前半にはブーレーズの最終章を、後半最後にはベートーヴェンの最終章を置いてそれぞれにフィナーレを創りました。

さて後半は、ベートーヴェンの第3楽章から始まり、ベートーヴェンの4楽章で終わります。

この3-4楽章は、ベートーヴェンが仕掛けた半音続きの、効果的で重要な、最も強い「接続の力」で結ばれています。

それゆえに、敢えてこの接続の意図を切り離し、その間に、ブクレシュリエフの即興の島『群島』と、先のベートーヴェンの3楽章と対応関係にある緩徐楽章(変奏)のブーレーズの第2楽章という、「巨大な体験形式」の2作品を差し挟み、ベートーヴェンの描いた3-4楽章間の強い接続に、この架空の「拡張効果」を差し挟んだことで、かえってより、この「接続の力」を強化しようとした、私の最大の挑戦がここにございました。

なので、最後のベートーヴェンの第4楽章の出だしにたどり着いた時に、従来の連続的な連なりで聴く「ハンマークラヴィーア」以上の、また、それとは「別様の」特別な次元を越えた到達感を感じるはず…

と願いをこめての配置でした。


以上です!


次回は星谷丈生の問題作ピアノのための『四季』に取り掛かります😇


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【その2】vol.10 来年1月27日(土)16時開演

@トッパンホール

「植物的で不可思議な」:to B 個体・ほころび・創発」

ルイ・クープラン:フローベルガー氏の模倣による前奏曲

・クセナキス:霧(ミスツ)

・バルトーク:戸外にて 

・J.S.バッハ:イギリス組曲 第3番 ト短調 作品808

・シェーンベルク:3つのピアノ曲 作品11ー3

     ・・・

・星谷丈生:四季 -ピアノのための-(2016)

・ブーレーズ:ピアノソナタ第2番(1947-48)【全4楽章】

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トッパンホールチケットセンター


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